「八千頌般若経」に登場した自身の善根(善行の功徳)を自身の完全な覚り(全知者性)の原因へと転換する廻向は、やがて自身の善根(善行の功徳)を他者の楽果(幸福)へと転換するといった意味をも担うようになります。これが「阿弥陀如来の極楽浄土」へと発展したものと思われます。今回は「浄土経典」の内容を見ていきたと思います。浄土経典は五濁悪世(末法の世)の衆生のために釈尊が阿弥陀如来による救いを説いた経典です。
○法蔵菩薩(ダルマーカラ)の誓願
阿弥陀如来の前身(前世)である法蔵菩薩(ダルマーカラ)は師である世自在王如来のもとで本願を立てます。法蔵菩薩が本願を立てて修行し、自利利他の行が完成して、自ら阿弥陀如来になると同時に一切衆生がこの仏の名号を信じ、称えて修行することによって極楽浄土に転生することが約束されたという事が説かれます。
ローケーシヴァラ・ラージャこと、世自在王とはヒンドゥー教のシヴァ神に該当します。以下の四十七の誓願の二十六番目にもナーラーヤナ神、即ちビシュヌ神の名前が登場します。浄土教はヒンドゥー教の影響も受けていると言われています。
○法蔵菩薩の四十七の誓願の例
漢訳では四十八の誓願になっていますが、梵語原典では四十七の誓願になります。漢訳で有名な十八番目の誓願は、梵語原典では十九番目の誓願に該当しています。
そして、今や法蔵菩薩は仏(阿弥陀如来)となったため、仏を念じる者は必ず救われるということになります。阿弥陀如来の別名は無量寿如来、または無量光(梵語:アミターバ)如来であり、アミターバとは限りなき光を意味します。
○幸あるところ(極楽浄土)
極楽浄土はこの世界(我々の世界)から西方に向かって十万億の仏国土を過ぎたところにあると説かれています。
その他、極楽浄土には七宝の蓮池があり、天の音楽が奏でられています。流れる種々の河は、住人の望む通りの深さ・温度となり、好ましい香り、美しい蓮華の景色、鳥達の心地よい鳴き声が聞こえます。
極楽浄土には身心の苦もなく、住人は他化自在天のように恵まれています。しかし、ここは楽をする場所ではなく、快適な環境で修行をする場です。
○五濁悪世
釈尊入滅から500~1000年の後、教法は伝わっているが、修行者も覚りを開く者もいない時代、末法の世がやってくるとします。五濁悪世とは五つの汚れに満ちた悪い世の意です。
このような劣悪環境ではまともな修行はできません。ならば、来世で阿弥陀如来の極楽浄土に生まれるように、現世で善を成し、来世で快適に修行すればよいということです。
○専修念仏と報恩謝徳の念仏の原点
「仏説観無量寿経」において、衆生が死後、極楽浄土へ転生する仕方について、上品上生から下品下生までの九種類が説かれます。その中で下品下生に専修念仏の原点と思われる部分が登場します。
また、「仏説阿弥陀経」ではつぎのように説かれます。
それぞれ、ひたすら念仏を唱えることに重点を置いた日本仏教の浄土宗と、阿弥陀如来の本願を信じる心に重点を置いた浄土真宗の思想の原点と思われます。