ルース・ベネディクト『レイシズム』後の人種と人種主義

人種は存在するが、人種主義(人種差別主義)は迷信・信仰である。人種とは、遺伝する形質に基づく分類法の一種であり、一方、人種主義とは、そのグループ間に優劣があるとする考え方である。人種は科学の一領域だが、人種主義は科学に反するものである。

――以上は1940年代のルース・ベネディクトの見解である[1]。確かに、多様なものについて、いくつかのグループを設定し、そこに入れ分けるのは、人間の真っ当な知的営みである。多様なものをその多様なまま全体を把握するということは非常に多大なエネルギーを要する(というか不可能といってよい)ので、簡素化して脳に収める作業をするのだ。しかし、そのグループ分けに妥当でないものがあるなら、その作業は見直した方がよい。ベネディクトの時代には、人間内部の分類体系として人種の考え方が有効なものと考えられていたが、その後の研究で、「人種は存在しない」との結論が大勢を占めるようになっている[2]。この点は訳者や評者がことわりを入れていないので、以下、勉強のメモとして、ささやかながらまとめておきたい。

人種が存在しない、とはどういうことか。身体的な特徴の違いはどう説明されているのか[3]。第一に、人類の内部の差異は小さいといわれる。ヒトゲノムを解析すると、無作為に選ばれた2人のDNAは99.9%が同じである。他の動物の事情と比べると、例えば、大型の猿類はそれぞれの種内の差異がその4~5倍はある。ただし、無作為に選ばれた2人は残りの0.1%(30億個の塩基配列の0.1%は300万個)は違うということになる。他の動物の種内との比較もあくまで比較であって、人間同士の差異それ自体を大きいとみるか小さいとみるかは価値判断になってくる。

そこで第二に、差異の観点はいろいろあり、その全てがいわゆる人種グループ次第で決まってくるわけではない(その全てを反映させて人種グループを整理することはできない)。歴史上の人種概念において大きな役割を果たしてきた肌の色は、地理的環境に適応したものであって、赤道帯で生きるためには紫外線を過剰に摂取しないように濃い色の肌が適していた一方、北欧や西欧では、薄い色の皮膚によって紫外線を多く吸収するほうが骨の形成の観点から望ましい。この皮膚の色という形質は他の様々な形質とは別個に存在していて、例えば、歯のサイズの違いは嚙み砕く力の必要を減じさせる火を使用した調理法の取り入れ時期にかかわってくる。これらをはじめとした諸々の形質を考慮すれば、人々の多様性は、いわゆる人種グループ間で顕著にみられるというものではなく、そのグループにかかわりなくみられるものである。

そして第三に、皮膚の色にしても何にしても、人々の間の差異は、くっきりといくつかのグループに分けられるというよりは、クライン(勾配、傾斜)あるいはスペクトラム(連続的)ととらえられる。ただ、実際の社会の日常においては、交流・遭遇する人間のサンプルは偏りがちであるし、歴史上なされてきた4つや5つやそれ以上のグループ分けの知識があれば、各グループのステレオタイプ・典型的なイメージに寄せて相手を見てしまいがちである。個人の認知の仕組みについての研究によれば、相手を自分と異なる集団に属するとみれば自分との差異を強く感じるようになり、同じ集団とみれば類似点を強く感じるようになる(強調効果)。また、異なる集団の人々に対しては、その内部の多様性が見えにくくなって、みな同じに見えるという現象も起こるという(外集団均質化効果)[4]。

さて、このように現在では、生物学的に「人種はない」という前提に立つことで、人種主義に対する批判をより根本から展開することが可能になっている。しかし、同時に、人種主義自体も根深くなっているともいえる。というのも、もはや現代では、生物学的な差異を根拠にして公然と他人を差別することは普通しないし、マジョリティの人々は人種主義の行為者というよりは知らずうちにその恩恵(特権)にあずかっているだけの場合もある[5]。とするなら、ベネディクトが人種主義の解決の「答えを見つけるために、果てない自己との対話を繰り返す必要はな」く、「歴史」に「目を向けるだけでいい」(169頁)と述べていたのは今では不十分かもしれない。現代の人種主義は、歴史を振り返って容易に目につくそれほどにわかりやすくはない。公正な社会を築けているか、常識・慣習を疑い、個々の制度を根源から吟味し、根拠のない差別を1つ1つ見つけて是正していく着実な努力が大切になってくる。


[1] ルース・ベネディクト(阿部大樹訳)『レイシズム』(講談社、2020年)。簡単な紹介記事は、河村義人「反差別の論理 マイノリティの復権⑤ ルース・ベネディクト『レイシズム』」『部落解放』840号(2023年7月)、110-113頁。

[2] 日本でもかつては同様に、人種分類を有効なものとしたうえで、客観的に優劣の序列を決めることはできないとして人種主義を批判していた。寺田和夫「人種とは何か」人類学講座編纂委員会編『人類学講座 第7巻 人種』(雄山閣出版、1977年)、第1章、特に5、25頁。

[3] 三点のまとめは以下を参考。ベルトラン・ジョルダン(山本敏充監修、林昌宏訳)『人種は存在しない:人種問題と遺伝学』(中央公論新社、2013年)、第3章;C・ローリング・ブレイス著、瀬口典子著訳「「人種」は生物学的に有効な概念ではない」竹沢泰子編『人種概念の普遍性を問う:西洋的パラダイムを超えて』(人文書院、2005年)、437-467頁;竹沢泰子『アメリカの人種主義:カテゴリー/アイデンティティの形成と転換』(名古屋大学出版会、2023年)、18-20頁。

[4] ジェニファー・エバーハート(山岡希美訳)『無意識のバイアス:人はなぜ人種差別をするのか』(明石書店、2020年)、第1-2章;石井敏ほか『はじめて学ぶ 異文化コミュニケーション:多文化共生と平和構築に向けて』(有斐閣、2013年)、69-70頁。

[5] ミシェル・ヴィヴィオルカ(森千香子訳)『レイシズムの変貌:グローバル化がまねいた社会の人種化、文化の断片化』(明石書店、2007年)、第1章。

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