オランダ独立史を鑑とする
台湾のオランダ統治時代を勉強すると、17世紀のオランダというのはこの国が世界的なヘゲモニー国家として台頭していて、正にこの時代をオランダの黄金時代と呼んでいることを知りました。そして、オランダは16世紀末からスペインからの独立を図る80年戦争を継続中でした。
このオランダ独立史は岩波文庫に2冊本として出版されています。作者フリードリッヒ・シラーはこの時代のことに魅せられ、スペインとの戦争がひと段落する時代までの歴史を描いていますが、そこで筆を折っています。
このオランダ独立史を学んで、いつの頃からかこの構図は台湾の今の状況に似ていると思う様になりました。この様な話題はとてもセンシティブなので、台湾で話すこともなく日本人に対しても話題としたことはありません。台湾人の家内に対してのみ話したことはありますが、平和主義の彼女はこのような話題は避けたがります。
その様な勝手な妄想の一つですが、同じような言説を他の場所で見た方がないので、ここで紹介してみます。
下記のWikipediaの記述をもとにした、オランダがスペインから独立した歴史と、今の台湾の状況の類似です。
一、 大国からの小国の分離
16世紀におけるスペインというのはポルトガルと共に大航海時代の先頭を走っていた覇権国家の一つです。国際的には南アメリカの植民地支配を果たし、ヨーロッパではハプスブルク王朝による中欧とスパインにまたがる巨大な支配領域を持っています。この時点ではイギリス、フランス、ドイツのいずれも産業革命を経ておらず、ヨーロッパでは限られた勢力しか持っていません。
一方、オランダはネーデルラント、低地地帯と呼ばれる、商業の非常に発達した土地でした。都市国家として独立していたわけではなく、巨大なハプスブルクスペイン王朝の一地域でしかありませんでした。
小国オランダの独立は、この強大なスペイン帝国との闘争になります。面積規模では現在の中国と台湾の対比ほどではありませんが、それでも巨大な覇権国家からの一地方の独立闘争として、比較することができる様に思います。
ニ、 封建的国家と先進的資本主義国家の摩擦
この時のオランダの独立の動機はカトリックに対する、プロテスタントによる宗教闘争といった面もあります。しかし、それと同時にスペインが中世的な封建国家として国を運営していたのに対して、オランダは後に17世紀の黄金時代を迎える様に、資本主義的な商業に立脚した政治理念を持っていたことに端を発していると僕は考えています。
マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で述べている様に、プロテスタントの考え方は、後の17世紀/18世紀にヨーロッパ覇権主義を牽引する資本主義の勃興する国々に浸透していきます。この動きの最も先進的な地域であったネーデルラントでも、プロテスタンティズムが信仰されるようになっており、その精神がスペイン王朝には受け入れがたかったということが、摩擦の根本的な原因としてあります。
この法の下での平等と商業の自由を元にする理念に対する、封建的な専制君主制による国家運営の対立という図式は、現在の台湾と中国の関係にも当てはまっています。
台湾は民主主義の優等生になろうと、積極的に西側諸国との関係の緊密化を図っています。そして、法による支配が充分に実現していますし、国際的な環境の中で資本主義のルールに則って振る舞っています。
一方の中国は属人的な統治手法のままであり、法治ではなく人治的な国家のあり方です。法はあってなきが如し、規則の朝令暮改も日常茶飯事です。中国の行っている社会主義的資本主義というのは、基本的に社会主義とするが一部資本主義的な要素も加えるということでしかなく、あくまでも社会主義が社会運営の基盤になっています。究極的な判断を迫られた場合、針は社会主義の方に振れてしまいます。そして、実態は近世の封建的国家運営の状態をまだ色濃く残していると考えています。
三、 武力による打倒ではなく、多くの第三国を味方につけること
ネーデルラントによる独立闘争は、スペインを屈服させるという形では終了しません。スペインによる戦争を退けた後に、膠着状態に持っていき、その状態が長く続くことでスペイン側がこの状態を受け入れざるを得なくなるまで待つという形になります。スペインが根負けするまで頑張り続けたとも言えます。
この状況も現在の台湾によく似ています。現代の台湾は基本的に西側資本主義諸国と歩調を合わせて民主主義の優等生となり、アメリカと共同歩調をとることを基本的な国家運営方針としています。これは故李登輝総統が唱え、現在の民進党政権が継承している基本方針です。
この主張は、中国からの軍事的圧迫が続いている現在、さらに声高く訴えられています。アメリカや日本もこの声に応えています。そして、それがアメリカと日本の安全保障政策とも合致している。多くの諸外国と共同歩調をとることで、中国の主張に対峙しています。
このようにして、国際的に味方を増やし、相手側を孤立させていく状況を作り出すことで、最終的に自国の利益を確保していく。その様な外交戦略を持っている様に見受けられます。
状況の異なっていること
もちろん400年前のヨーロッパと現在のアジア/太平洋の間では異なっていることも多々あります。それは理解した上での考察です。ここでは、この二つの問題が異なっている面を簡単にまとめておきます。
スペインはオランダを実際に統治していたが、中華人民共和国は台湾をかつて一度も統治していない。
陸続きであるスペイン/オランダと海峡を挟む中国/台湾の状況は異なる
現代の軍事的手法が異なる。昔はほぼ陸軍を主体としているが、現代は海軍、空軍、宇宙軍、ネット軍など、多くの軍事手段を有しています。
スペイン/オランダと中国/台湾の経済規模の比率が異なること。
オランダ独立までの経過
オランダの独立戦争は80年、それ以前の双方の矛盾を抱えた状態から考えると、優に一世紀に渡る抗争です。下記に代表的な出来事を記してみます。
15世紀:羊毛生産と漁業によりネーデルラントが経済的先進地域となる。
1540年台:カルヴァン派によるプロテスタントの布教が始まる。
1560年台:カトリックとプロテスタントの間での矛盾が広がる。
1568年:オラニエ公による反スペインの反乱が起こる。独立戦争の開始。
1576年:ヘントの和平と呼ばれる休戦状態になる。
1580年:スペインによる統治を否認し、独立を掲げる。
1585年:アントワープ陥落。経済の中心が北側諸都市に移る。
1596年:イギリスとフランスが北部諸州の独立を認め、ネーデルラント連邦共和国が成立する。
1648年:ウェストファリア条約でスペインがネーデルラントの独立を認める。
解決には時間の経過が必要
この様に、オランダのスペインから独立するという闘争は一世紀に渡る時間をかけて進行しています。オランダの止むに止まれぬ思いから上げた独立の狼煙が、世界各国の承認を得て安定するまで、これだけの時間がかかったということです。
この歴史を学んで、台湾の中国からの独立という問題は同じように一世紀という様なタイムスパンをかけないと解決しない、歴史的課題なのではないかと考えています。
そして、それは独立を宣言すれば済むというものではなく、長い時間をかけての闘争になる。それだけの時間を経ないと独立は勝ちとれないのだと、台湾の人も周りの我々も自覚しないといけないと、個人的にそんな風に考えています。