ジュニア年代の指導で大切にすること。
こんにちは、森 廣之(もりひろゆき)です。
今回はTwitterでアンケートをとった中で最も得票率の多かった
「ジュニア年代の指導で大切にすること」について。
(投票数は7票。この7票と反応数がすごい大事。)
まずは前提として。
自分は初等教育学を専攻しているからこそ、
今の教育を踏まえて、将来を考えた指導を心がけている。
だからこそ、様々な意見があればもっと広げられると思っている。
1.今のジュニア年代における教育やサッカーの変化
2.「今」を踏まえ「将来」を想定したジュニア年代の指導
3.サッカー的な指導について
4.まとめ
1.今のジュニア年代における教育やサッカーの変化
まず教育の観点から。
小学校の教育現場では、2020年を目処に様々な変化が起こる。
まずは英語に関わることの年齢の引き下げ。それから「アクティブ・ラーニング」。運動機会の減少とそれに伴った運動能力調査の低下。また「可視化教育」なども言われている。
つまり、教育界ではグローバル化への対応や「知識を問う」ことから「何を考え、それについて判断しどう表現するのか」の育成への転換がされている。また習い事の増加により運動機会の減少が起こったり、基礎運動能力の低下が見られている。「アクティブ・ラーニング」は「主体的・対話的で深い学び」とされていて、「主体性」や「問題解決能力」、「対話力」などが必要とされている。
サッカーの現場を見ていても、自分がいた約10年前と変化がある。
小学校も市内の様々なところから来るようになった。
まず、女子選手が増えた。今担当学年では2名所属している。
あとは親が少しサッカーに介入する機会が増えたと思われる。
他にも県帯同にはD級ライセンスが必要になったし、
地域や県の大会では4級以上かつ実技講習が必要となった。
また地域の大会等ではスポンサーが変わったり、撤退している。
2.「今」を踏まえ「将来」を想定したジュニア年代の指導
こういった「今」を踏まえて自分が大切にすること。
①「聞く」「話す」などの``音``を大切にする
②自分自身で自分を褒められるようにする
③子どもが持つパーソナリティ、アイデンティティを壊さない
①「聞く」「話す」などの‘‘音‘‘を大切にする
これは可視化教育が関係している。
今のサッカー界では「認知」というキーワードが流行?している。
個人的にはサッカーは「認知」が必要で五感を使うことが求められると思っている。だが、今の教育では「可視化教育」のもと出た情報を見える形(言葉など)でまとめ、それを基に情報を整理し話し合いを展開していく。これが悪いとは言わない。けれどピッチには言葉で書き出したりすることは出来ない。だから「認知」を大切にしつつ+‘‘音‘‘を大切にする。
なぜ、‘‘音‘‘なのか。それは気配と同様に「言語化できない」感覚的なものだから。試合中にはいくつもの音が存在する。味方や敵の声、審判の声や笛の音。指導者の声かけや応援の声。ボールを蹴る音や足音。細かくあげればキリがない多くの‘‘音‘‘。これにTRから気を配る=習慣化すると、脳内の情報整理スピードが向上したりピッチ上で得られる情報が増える。
これをTRではわざとボードを使わない、笛と声を使い分けたり、キックの指導では実践と‘‘音‘‘を区別するなどしている。
(まだゲーム形式や対人系などに組み込むのが難しい…)
(https://www.footballista.jp/column/43373から画像引用)
②自分自身で自分を褒められるようにする
出るくいは打たれる。なんて時代は徐々に衰退していってますね。
よく言われるのは「成功体験」とか「自己肯定感」とか。
要するにそういうことで「成功体験」を与えるには出来るようになった時に褒めたり、落ち込んでいる時に褒めたりすることで自己肯定感が高まる。
それが他者に褒められることはもちろん嬉しい事だ。
けれど、それはある側面から見れば「他者への依存」ともいえる。
それは全く悪い事ではない。けれど、今の若い世代に「自己肯定感」が低い傾向がある。(内閣府,「特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~)(http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html)
この先、今の職種の多様化があるように、個人個人の立場なども変わってくる。だからこそ、まずは行動を起こした‘‘自分‘‘を‘‘自分‘‘が褒められるよう荷したいと思って取り組んでいる。
③子どもが持つパーソナリティ、アイデンティティを壊さない
今、自分は教育学部で学んでいるが、いつも思う疑問がある。
それは毎回の授業用に用意される学習指導案で「児童の反応」の予想を考え、記載しておく欄がある。けれど、「子どもの発想は豊かで大人の考えを越えてくる」なんてことを平気で言う。だからその場で対応できる柔軟性も必要だと言われる。これって結構おかしいと個人的に思っている。
それって確かに必要だけれども、子どもの考えを尊重しながら過程を構築し、授業の目当てを達成できる事が、授業力なんじゃないかなと思う。
要するに、教育ってまだ大人主体になってるんだよね。
よく「問題解決能力」なんていわれるけど、それって結果論として合ってる・間違っているはあるけど大事なのはその過程でしょ。その過程で何を捉え、組み合わせ、判断し考えたのかが大事だと思っている。
人が何か考える時、その判断は人によって大きく異なる。それは自分の価値観や経験、心理的な部分や自分のバックグラウンドが関係してくる。それを他人が100%理解できる日はおそらくやってこない。だから、大人が自分の持っているもので何かを導き出すことはとても危うい。
子どもには子どもなりの考えがある。大人はそれを我慢して見守る。時には叱る。これが大事なんじゃないかな。
3.サッカー的な指導について
こういった大切にしたい事をどうやって組み込んでるのか。
・笛と声の使い分け、ボードを使わない噛み砕いた‘‘言語化‘‘による説明
・全員を試合に出す(基本的に公式戦であっても)
・子ども同士のコミュニケーションをよく観察する
・サブ扱いではなく、個々の持つ長所を活かす
・できるだけ子どもたちのコミュニティに介入しない
・子どもができることはできるようにし、子どもで完結するようにする
・全員に役割があるように配慮する
4.まとめ
いつも言っているのは、自分が今居るところは、
「サッカー競技におけるピラミッドの最底辺」だということ。
だから、上のレベルに行くサポートも勿論するが、それ以上にサッカーを好きになる事、この先の社会に出て行くための手助けやこの仲間とサッカーできる楽しみの手助けができたらと思う。
P.S 今回わりと長くなってしまいました。
この記事を書いている途中、WPPの後藤さんとお会いする機会があり、先月お会いした初見さんもそうだが、いろんな人から得られるものが多いなと思った。同時に、今の自分が他の人に何か伝えられるかなと難しくも思った。
また、お会いして得たものについてはまた別の機会に。
読んでいただきありがとうございました。