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本棚には羞恥と自分の過去が詰まっている
本棚を見る。
ふと目に入ったのは「旅をする木(星野道夫)」「青春論(亀井勝一郎)」「火を焚きなさい(山尾三省)」「ファイアズ(レイモンド・カーヴァー」「ライ麦畑でつかまえて(J.D.サリンジャー)」だ。
というか、それくらいしか自分の部屋に持ってきていない。
僕は一ヶ月ほど前から一人暮らしを始めた。
しばらくは実家暮らしだった。これで再びの一人暮らしだ。気分ははっきりいって良いと悪いの二つに分かれている。
「これで自由な時間が増えるな」という開放的な気分と、「もう暇な時間を家族と一緒にはいられないのか」という寂しさである。
そんな寂しさを埋めるように持ってきたのが、さっきの本たちだ。
彼らは僕の部屋の本棚にあった。
引っ越しの際にいくつか持って行くものを選定しなければならなかった。部屋には限られたスペースしかない。漫画だの小説だの、実家の部屋にあったものを全て持って行くわけにもいかないのだ。そこで、選ばれた戦士たちだ。
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「旅をする木」は現在進行形で読んでいる本だった。
星野道夫さんは写真家である。アラスカで活躍した人で、今はもう亡くなっている。自然や動物の写真をたくさん撮っていた。僕は詳しくないけど、それらの写真を見るたびに、自分がちっぽけな存在であることを意識させられる。
それから星野さんは文章もよく書いた。当然、本はそのときのものである。彼が見つめている世界は、写真だけではなく、文章という形でも、リアルに、美しく、僕の目をはっとさせる。
実は本を読むのが最近はずいぶんと遅くなっている。この本も少しずつ読み進めていて、もう2ヶ月弱くらいかかっている。それでも、いつか最後まで読み切りたい。人によってはそれを「遅いなぁ」という人もいるけど、それでいいと思っている。
これは僕の考えだけれど、人にはそれぞれ本を読む時期ってのがあるんじゃないかと思う。ペースもその時々で、がっつり読める時期もあれば、ちびちび読む時期もある。あるいはまったく読めない時期もある。むしろそのほうが普通な気がしている。四六時中本を読むのが大好きだなんて、それはそれで何となく心配になってしまう。まあ、余計なお世話だけれど。
ともあれ「旅をする木」はそうして少しずつ読んでいる。最後まで読み切るのがいつになるかはわからない。もしかしたらずっと、読み終えないのを期待しているのかもしれない。
僕の本棚には、そうした思い入れのある本だけが残っている。
これから読もうとしている新しい本はない。一年くらい前から、あんまり本を買わなくなったのだ。知り合いに勧められたり、よっぽど気になった本があれば別だけど。それも、図書館で借りて済ませられるものであれば、借りて済ませてしまう。
小説はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」しか持ってきていない。
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これは村上春樹訳とは違うものだ。いわゆる「青本」と僕は読んでいる。野崎孝訳のものである。村上春樹が悪いとはいわないけど、今作に限ってはやっぱり青本に軍配があがる。僕の思い入れがあるからかもしれない。
村上春樹訳で好きなものでいえば、レイモンド・カーヴァーの「ファイアズ」が挙げられる。
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実はこれも読み終えていない。ちまちまと、気になった箇所だけを読むようにしている。主に詩を読んでいる。たまにエッセイを。レイモンド・カーヴァーは短編の名手だからか、詩やエッセイも上手い。特に僕は海外の詩やエッセイにあるウィットに富んだ感じとか、直接的でありながらも間接的に伝える妙とか、そういう感じが大好きだ。このカーヴァーの訳の他のものを読んだことはないからわからないけど、村上春樹訳はすばらしいと思う。少なくとも僕の思い入れはぴったり収まった。
ここのところ詩を読むことが多くて、山尾三省の「火を焚きなさい」は折に触れて読んでいる。
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特に好きな箇所があって、それはこんな詩だ。
じゃがいも畑の畝にかがんで 草を取っていると
土が無言であることがよく判った
土は無言で じゃがいもを育て 雑草を育て
私に語りかけていた
私も無言でその語りかけに答えていると
静かな幸福が私達の間に流れた
なんということのない詩かもしれない。でもだからこそ、なんだか時間がゆったり流れるような、自身が自分でも気づいていない幸福の存在を感じさせる。そんな詩だなぁと思ってる。
詩は小説と違って、時間が一定に流れる物語ではない。だからこそ面白くて、たまに読んでも気分が乗る。ああ、なんかいいなぁ。そのくらいの気分で読める。もちろん小説も楽しいけど。
物語とはまた違った楽しみ方があって、詩もいいなぁと、ここ一年くらいは思っている。
そして亀井勝一郎の「青春論」は、僕の好きな芸人さんが紹介していた本である。
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青春論という名の通り、どこか青臭いところを、論考としてたくさん書いている。それが新鮮で、何となく自分の10代や20代に戻れるような気がして、離しがたい本だ。特にエモーショナルな、秘めごとについても書いているのが面白い。文面でもそのまま「青春とは、初めて秘密(秘めごと)を持つ日と言ってもよい」と書かれている。秘密とは、必ずしも恋愛ごとに限らない。人生の目標や目的、様々な問いを自分のうちに秘める。それに一歩ずつ答えを見つけていかなくてはならない。それが青春である、と亀井勝一郎は述べている。僕はこの本を読むたびに、背筋が少しシャンとなる感じがある。だから手放したくないんだろう。
こうして書いていると、本当に本棚というのは、僕の気持ちや心を表現している媒体なんだと思う。よく本棚を見られるのが嫌だという人がいるけど、気持ちはわからなくもない。実際、僕だってじろじろ見られるのはどうかと思う。それでも、本棚を知るからこそその人を知る、という部分もある。だから自らさらけ出してみたりもする。そうして、恥ずかしい思いをするのだ。
本棚には羞恥と自分の過去が詰まってる。そんな気がした。
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