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続けているから、わかること。見逃していること。

正保元年、西暦1645年。
ヤマサ醤油さんと、創立が同じです。
375年続いているものを、住職として引き継いだプレッシャーは、
ボディーブローのようにやってきます。

昨日今日、そして明日のこともままならない世の中。
375年のその先を、日々どうやって積み重ねていくか?
「寄り添う」とか「絆」とか、そんな生易しい言葉で表現できるものではないでしょう。
でも、住職がひとりで悩む時代でもありません。
全責任は住職であるぼくにありますが、マネジメントは、チームで。
ご門徒(檀家)だけでなく、外部からのサポートもあっていいわけです。
新しいお寺との関わり方を、個人でも、ビジネスでも、そしてソーシャルでも、つくっていきます。

宗派が、「伝える」ことから「伝わる」ことへ、大きく舵(かじ)をきりました。
だからこそ、心穏やかに、楽しく。
お寺を、そんな場所と時間にします。

「火のないところに煙は立たない」

ほとけさまの願いに逢って、心に火が灯る。
その火がまわりを照らすときに出るのが、煙。
その煙でいい香りになる場所が、お寺だと思います。

まずは、11月の御正忌報恩講法要を、滞りなくお勤めすることを最優先。報恩講に関する、とあるプロジェクトで、まもなくニュースリリースも出す予定です。

このコロナ禍ではありますが、感染対策をして、3月から法要を続けてきました。
こういうときだからこそ、必要な場所と時間があります。
お参りにお越しのみなさまが、お帰りになる際に、「また(お寺で)会おうね。」とご挨拶されていたのを聞いたとき、住職をお引き受けしてよかったと、涙が出てきました。
また逢える場所(=浄土)を感じる場所で、また会えること。

前回の、彼岸会法要の際に開催した役員会で、9月までの上半期の報告と、10月以降の下半期の活動についてのご相談をしました。そのとき総代の皆さんから伺ったことは、「お参りは減っていない、むしろ増えている。」ということでした。過疎の小さなお寺であっても、「続けること」を大事にして、その時々に合わせたやり方で、次に繋がることをやっていく。そう実感しました。

本山の日没(にちもつ)勤行は、毎日夕方にお参りされます。重誓偈(じゅうせいげ)と正信偈(しょうしんげ)というお経をあげます。しかし、ついていくのがやっとなくらい、「早い」のです。
なぜ早いのか?理由があります。
石山本願寺(いまの大阪城)で、信長との戦いの最中、まさに鉄砲玉や槍が飛んでくる中でも、その僅かな合間で、お参りを続けるために、「高速」でお経をあげていた、ということです。それを忘れないために、日没勤行は、「高速讃仏偈」「高速正信偈」なんだそうです。

ある意味、このコロナ禍も、石山合戦の「法難」に匹敵しますね。
今回のことを契機に、お寺がどんどん潰れていくでしょう。
「悲観論」ではなく、これまで目をそむけていたことが「顕在化」しただけで、むしろこれからの時代だからこそやらねばならない、そしてやめなきゃいけないことがある、ということが、しっかりわかったということではないでしょうか?

「お参り(お寺の活動)を、とめない。」

感染防止をして、差定(式次第)を変え、お参りのスピードもあげて、お線香も煙の少ないものに変え、お斎も違う形でご提供する。
ネットも使って、お寺から配信。寺報を配る。いろいろできることは、山ほどあります。

ご法事も、各ご家庭ではなく、本堂でのご法事(上法事)をおすすめしてます。石山合戦のお話をして、いつもならゆっくりお参りをしてたのを、高速バージョンでお参りします。(間違えないようにお勤めしないといけません。。。数行先を見ながらあげないと、ついていけないので。。。)帰ってすぐに服を着替えて頂いて、選択できるように、フォーマル(喪服など)な服装ではなく、平服で暖かいものを着ていただくようにしてます。窓は全開にしてますので、靴下も厚手を履いてきていただくようにお願いしてます。

11月の法要が終わると、3月のお彼岸までは、お寺の行事はお休みです。春までいろんなことの準備の時間になります。

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