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努力は人を裏切るし、準備に完璧はない。それでも、追いかけたい夢。

昨日は箱根駅伝予選会でした。今年も熱い21キロ。選手をはじめ、関係者のみなさま、おつかれさまでした。例年の熱さに加え、今年は暑さもハンパなかったようで、棄権者も少なくなかったとのこと。10月も下旬になろうかという日に、なんと厳しい気候でしょうか・・・。

陸上長距離を観戦していると、熱中症や脱水症状で、朦朧としながらゴールを目指す選手を見る瞬間があります。今回も、ゴール直前で倒れて運ばれた選手がいたり、倒れながらも完走した選手がいたりと、いかに過酷な状況だったか容易に想像できます。どんなに努力をしようとも、どれほど準備を重ねようとも、当日のできごとはコントロールできません。だからこれらの過酷な状況について、観戦者であるわたしは何も意見することはできないけれど、それでもひとつだけ言いたい。

倒れながらも走る姿を美談にしないでーーーー!

無理をしたことで選手生命が絶たれるかもしれないし、選手生命どころか日常生活に支障をきたす後遺症が残るかもしれない。棄権した選手が自分を責めるかもしれないし、今後、這ってでもゴールすべきなんだと思い込む選手が生まれてしまうかもしれない。

あらゆる可能性を考えた上で、何を大切に想い願い今を生き、今後を生きるか。選手はもちろん、仲間も監督も、関係各位もこの競技を愛するすべての人も、考えなくちゃいけないと痛感しました。人気スポーツだから、そこには大人たちの損得感情もたくさんあるけれど、目先の利益以上の価値を改めて考えたいと思った予選会でした。

箱根駅伝なんて、たかが関東大学だけの大会じゃん?と思う人も多いかもしれない。でも今この瞬間、他人から「たかが」と言われるようなものに、人生のすべてを賭けようと思えるって偉大なことです。そんな瞬間を生きられるって、最高だと思います。箱根駅伝のような期間限定の夢でも、一生続く長い夢でも、夢中になった時間は命そのもの。長いか短いかわからない人生の中で、どれほど自分の全力をと向き合えたか。その時間の長さや日々の濃さが、一人ひとりの一生を創るはず。

たとえ自分に、夢や目標と呼べるものがなくても、今日誰かの幸せを願ったり、誰かの夢を応援したり、誰かと一緒に微笑む時間を持っていたら、それも最高の一生を創る1ピースです。

今回、たった1秒に泣いた東京農業大学。一人たった0.1秒だったかもしれないけれど、21キロを走ったあの時間に、0.1秒をおそろかにした選手はひとりもいなかったはずです。それぞれに努力して準備を重ねて挑んだ結果があの1秒。

本気で予選会に挑み、持てる力のすべてを出して走ったとき、あと1秒、あと一歩が出ない。10キロもろくに走れない市民ランナーのわたしでさえそう思うのだから、アスリートはもっと厳しいんだろうな。

また来年、というのは簡単だけど、それでもまた来年。
102回目の箱根駅伝予選会をたのしみにしています。

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