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アニメ「チ。」を観て ラファウの自己愛は狂気か?
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「チ。」というアニメが、巷で話題である。地動説を信じる人たちが、教会に異端とみなされ、次々命を落としていくストーリーは、ゾクゾクする。しかし、私にはラファルという主要な登場人物に対し、ある違和感があった。彼はエリート神学生だったが、数学的に、地動説の正しさを証明してしまい、異端審問官に捕まり殉死する。(科学的真実のために)
問題はラファルの性格描写だ。あまりにライトで、ペラペラな人物として描かれている。利己的で、共感性に乏しく、恐ろしく虚栄心が強く、自己愛の塊のような人物だ。その人間が、真理を追求するという、観念的な動機で死を選択できるのだろうか?しかもとてつもなく軽々しく。僕は東横キッズの飛び降り自殺を思い出した。あまりに軽い命の重さ。
彼に、希死念慮があるならともかく、虚栄心と自己愛の塊が、匿名的に、真理のために死ぬという行為は納得できない。何か、組織があって、そこで 尊敬が得られる場合は別だろう。名誉ある死を選ぶことはある。
確かに物語としては効果的である。地道説が世に認められたのは、ラファウという伝説的な美男子がいたからという展開は、確かに面白い。しかし、将来を嘱望されて、周りにチヤホヤされていた彼が、自然科学の真実という抽象概念のために命を捨てるのか?そこが腹落ちしない。
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地道説は、別に人類を救うわけではない。差別をなくしたり、人を道徳的に正しく導くわけでもない。一般的に人はリターンのない行動は取らないとされる。地動説のための死が快楽をもたらすとは思えない。物語は否定しない。しかし、彼のリアリティが少し弱い。
ところで、この物語の変わってるところは、主人公がどんどん入れ替わるところだ。物語の描き方として、俯瞰的な視点を持っている。長い時間をかけて、なにかが出来上がっていくというのは、人を感動させる。人為の及ばない神秘性がある。ただ描き方が難しい。このアニメは、列伝的に、一人一人の殉死者に焦点を当てることで、それに成功しているようだ。キャラクターに対して興味をかきたたせて、それがバトンリレーのようにつながっていく。
つまり、主人公は「地道説」という概念である。概念は、人ではないので、擬人化が必要だ。その、シンボルがラファウというのは、軽すぎないか?異端審問官のノヴァクは、地道説を根絶やしにするために行動する天性のサディストであるが、非常に魅力的な人物として描かれている。登場人物の中で最も作者の思い入れの強いキャラクターである可能性がある。それが、さらに物語を複雑にし、変態性に拍車をかける。暗黒時代としての中世をノヴァクは、一心に背負っている。権謀術数ではなく、快楽殺人なのだ。ノヴァクが残酷であればあるほど、地道説の殉死者たちの正当性が際立つ。しかし、ノヴァクの方が圧倒的に魅力的なのだ。そこには、人間のリアリティがある。この複雑な対比がこの物語の魅力の一つだ。
【結論1】主人公は地道説だが、概念なので、それを信じる人を主人公にせざるを得ない。
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自分の利益に直接関係ない真理のために死ぬ人は、どう考えても少数派だ。自分が死ねば、世の中は救われるという状況であれば、死を選ぶ人がいるだろう。人間にはら共感性があり、利他的な行動は善だと考えてられている。尊い犠牲は尊敬もされるし、伝説にもなる。しかし、その前提になんらかの組織に所属していなくては。おかしい。例えば、ガザの子供のために、イスラエル人は死なない。また、戦時中の日本の原爆を止めるために、アメリカ人科学者は死なない。これこそ異端の行動であるが、狂気に近い。また、人道的にはとてつもなく正しい。
誰にも認められない、自分の正義のために、命を投げ出した例として相模原の障害者施設の殺人事件というものがあった。津久井やまゆり園の植松 聖(うえまつ さとし、事件当時26歳)は、ラファウに近いかもしれない。自分が働いていた施設に刃物を所持して、侵入し、入所者19人を刺殺した。事件後の彼の言葉を引用する。
「事件を起こした自分に社会が賛同するはずだった」
「(障害者を)殺害した自分は救世主だ」
「(犯行は)日本のため」
「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」
植松の発言はまさに狂気であるが、ある種の合理性はある。何より、自分が死刑になることを覚悟の上で、殺人を行っている。衝動殺人ではない。むしろ、軍隊的な行動である。心理的には戦時中の特攻隊と変わらないのではないか。違うのは、彼は個人的妄想であり、特攻隊は国家の妄想である。
植松の問題は、一般社会に対する甚だしい誤解だ。優生保護的な観点や、人類の繁栄のために、殺人をすることは、近現代の歴史的な結論として、倫理的にタブーである。最近、ある学者が「老人は切腹すべし」発言して大問題になったことを思いだす。これもどこか、植松やラファウの発想に似ている。論理性が肥大すると、人間性が殺されるのである。行動に移すかどうかは、また別の問題だが。
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さて、歴史上、異端思想を理由に迫害された事例は多数存在する。ガリレオ・ガリレイは、1642年に異端として起訴され、審判の結果、自宅軟禁にされた。16世紀ジュネーブでは、ミハイル・セルヴェトスは三位一体を否定し、神学的な異端と見なされ処刑された。19世紀末には、労働運動や女性の権利運動の活動家たちが、異端視され殺された。17世紀の哲学者スピノザは、神の概念に関して、ユダヤ教の教義に反するとされ、国から追われた。アラン・チューリングはゲイであることが化学的去勢を選択させられた。また、中世ヨーロッパの暗黒時代には、多くの科学者や思想家が異端として迫害された。信仰や思想が異なることで命を落としたり、苦しめられたりした人々は多いが、こうした人々は、どこか精神的欠陥を持った社会的マイノリティであることもまた事実である。
このあたりで、一般論として、ゲーム理論についてふれておこう。個人は、リターンが不明確な場合、自己犠牲を払わない、という考え方である。フリードマンの合理的選択理論では、個人は自らの利益を最大化するために行動するとされる。期待されるリターンが不確実であったり、明確でなかったりする場合、リスクを冒して自己犠牲を払う動機が低くなる。これは誰もが体験的に理解できるだろう。
そのため。人は全体の最適解に反する行動を選ぶことがある。地球環境の問題はまさにそうである。個人にとってのリターンが不明確で
「社会的報酬」や「道徳的満足感」が無い合、個人は自己犠牲の行為を避ける。
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相模原殺傷事件の面白いところは、完全にゲーム理論から逸脱しているところだ。ラファウにも、それが当てはまる。彼はらキリスト教会の幹部候補のエリートであり、教会のルールを破ることは、本来自分が手にする報酬を放棄することになり、合理的な判断では無い。周りの期待は良い宣教師になることだった。ただ、彼は、教会の教えを人々に伝えることが難しいと考えた。そこには、非合理性と虚偽があるからである。
彼の関係する人々は、先生(育ての親)、友人達、街の人、異端審問官、天文学者とさまざまだから、どこからリターンをもらうことが最適解かと考えた場合、
教会つまり、先生に決まっている。しかし、彼はあまりに賢すぎ、教会の存在や神の存在を馬鹿馬鹿しいと考えるようになってしまった。だとしても、死ぬ理由にはならない。適当にやり過ごすことは、彼の得意技なのだから。
ラファウは地動説が必ず真実として認められる日が来て、その時自分がヒーローになるという確信を持っていたのだろうか。それは、合理的では無い。ではなんらかの信仰が生じたのだろうか。そうかもしれない。それは、天文学なのだろうか。神は、地道説?やはり腑に落ちない。
個人の個人の選択は、周囲の環境や他者の行動に依存している。個人は信念で常に行動するわけではなく、周りの反応や、環境で行動を決めている。相手が取る可能性のある行動を考慮しながら、最適な戦略を選択するのだ。リターンを評価し、それに基づいてリスクを取るかどうかを決定し、利他的行動と自己中心的行動の間のトレードオフをする。
たとえば反社会的人格障害なら死を選ぶことは理解しにくいがありえる。育ててもらった親への感謝、コミュニティなら期待されていることへの喜び、キリスト教への信仰心はまったく描かれていない。ラファウの描写は、
①自己愛が強く
②他者を見下し
③自己中心的な行動をとる
つまり、今でいうところの自己愛性人格障害 である。自己中心的な行動、誇大な自己評価、他者への共感の欠如、過剰な称賛や特権を求める。他者を利用することで自己の利益を追求する。他者に感謝することやリスペクトすることが難しい。相手が重要であると感ずるのは、自分の利益に直結する場合のみである。
加えて、ラファウは、反社会的パーソナリティ障害でもある、社会的規範に対する無関心、他者に対する共感の欠如が顕著だ。他者を傷付けたり、利用したりすることに対して罪悪感を抱かない。他人の権利や感情を無視することが多い。他者に対して優越感を持つことは、自己愛の一部である。成績優秀や成功していることに過剰に執着していた。だから、地動説のために死んだことも、自己愛的利己的な選択であることは間違いない。
【結論2】利己的な人間ラファウとしてにとって死を選択するのも、利己的な選択である。
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ラファウは他人を見下し、自己の行動は常な正当だと考える。倫理感を無視し、自らの利益を最優先にする行動が続く。実際、彼は称賛されてはいたが、社会的には孤立していた。ラファウは人々との感情的な結びつきを拒絶していた。ラファウに関して、こうした側面はあまり、深く描かれていないが、それは、物語の展開上、ラファウのキャラクターを組み立てる時に、彼を魅力的な人物に仕立て上げる必要があった。
そこが、違和感の原因だ。
【結論3】物語の展開上ラファウを魅力的な人物に仕立て上げる必要があった。
そして、ラファウは、その病理ゆえに、地道説への依存症になったのだ。こうした人は人間関係における失敗を感じた場合、自傷や自殺に走る傾向がある。そう考えると、死の選択も理解できる。私は、自殺は、短絡的な判断だと思う。彼には、親がいないのに、自分を親の代わりに育ててくれた人に感謝の心がない。それどころか馬鹿にしている。育ての親がどれだけ悲しむか考えれば、ああした行動は取れないし、もし取ったとしても悩み苦しむのが普通だ。そんなそぶりすらない。むしろ、抽象概念のために死を選ぶということは、彼のヒロイズムを刺激したのだ。彼にとって、他人は皆、下等な存在であったのだ。こんな馬鹿馬鹿しい世界、生きる価値ない。お望み通り死んでやる。馬鹿ども。俺は、科学的真実の殉教者だ。と最後まで自分に酔っていた。狂気が半端ない。
【結論4】ラファウは、人格障害であり地道説への依存症だつた。
もう一つの解釈としては、科学の神がいて、それがラファウは生贄として神に捧げられたという見方もある。これは神話的な見方であり、こうした解釈は、物語全体をミソロジーの沼に沈めてしまう。そうなると人物描写はむしろ、パロディのような効果になる。その方が、健康的かもしれない。なぜなら、27歳の作者は、ラファウに自分と自分たちの世代の、この国に対する思いを委ねていると思えるからだ。賢い彼は自分の、病理を理解した上で、大衆を馬鹿にしながら、この物語を書いていることを感じる。それを同世代の連中が称賛する。そこに、ある種のサイコパスの要素が垣間見える。そこには、ファシズムの臭い匂いがする。それは、この漫画を絶賛した詩人最果タヒにも共通している。自分が軽蔑している社会の視点から、自己を卑下するという自己愛の変形は、かなり複雑なパーソナル障害であり、そこに露出している共感性の欠如は容易に異物(他者)を切り捨てるだろう。なぜなら、判断に身体性が伴わないからだ。私はこの広告のコピーを気持ち悪いと思う。これを、賞賛している人がいるとしたらその人も同様に病んでいる。そんな社会に誰がした?
「私は自分が、どんなところで狂っていて、どこで、異常な価値観を常識だと思い込み、自らや他者に押し付けているのか。知ることができないまま多分、死ぬ ここに登場する彼らが、そうであったように。真理はある。でも、まともな人間などきっとこの世に一人だっていない」
まともな人間とは。まともな人間になろうと日々もがいている人間である。いない、と断言するのは簡単だが、だからといってその罪を許されるわけではない。虚しい自己弁護のため息が聞こえるだけである。
肥大した自己愛と反社会性は正当化されてはならない。太宰や中也や啄木や朔太郎の自己憐憫が許されているのは、彼らには、徹底的な自己批判と自己嫌悪があるからである。
【結論5】
チ。は、舌打ちの「チ!」である。
サイコパスとファシズムの匂いがするから。
〈まとめ〉
【結論1】
チ。の主人公は地道説だ。
【結論2】
ラファウにとって死も利己的な選択である。
【結論3】
物語としてラファウを魅力的に設計した。
【結論4】
ラファウは地道説への依存症だつた。
【結論5】
サイコパスとファシズムの匂いがする。
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リターンが明確でない行為において自己犠牲を払うことは、個人にとって合理的ではない、
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人間の非合理的な行動や感情を考慮することは困難であり、理論が現実と乖離する可能性があります。 皆による協力が恩恵をもたらすにもかかわらず、各々が協力の負担を避けようと抜け駆けする結果、その恩恵を得ることができず悪い状態から抜け出せない社会状況になる。個人の最適化を図ろうとした選択が、結果として全体の最適選択とはならないことはある。
相模原殺傷事件の面白いところは、完全にゲーム理論からは逸脱しているところ。ラファウは、キリスト教会のエリートであり、その社会に属していて、そのルールを破ることは、本来自分が手にする報酬を放棄することになり、それに対して多くの人が、アドバイスをしていた。結果的に彼は、天文学者の考えと、天文学の魅力に抗えなかったが、周りの期待は良い宣教師になることだったと思う。ただ、彼は、自分が自分の信念に従わす、教会の教えを伝えることが。難しいと考えた。そして、そのくらいだったら、死んだ方がマシだし、どうせ死ぬなら、未来にその可能性を託そうと考えた。
彼の関係性は
先生
友人
家族
街の人
異端審問官
天文学者
とさまざまだが、彼の判断は、どこからリターンをもらうことが最適解かと考えた結果だと考えると、彼は地動説を守ったということによって 評価させるという小さな可能性に賭けた。前提として彼があまりに賢すぎ、妄信的な信仰を馬鹿馬鹿しいと考えて、選択肢がキリスト教関係しかないということによって馬鹿馬鹿しくなったのかもしれないが、死ぬ理由としては希薄だ。
ラファウは地動説が必ず真実として認められる日が来て、その時自分がヒーローになるという確信を持っていたのか。もしからしたら 彼は未来人で 将来の自分の評価を知っていた ということであれば 納得できるね。ばかばかしいが。
ゲーム理論は個人の行動を解析し理解するための強力なフレームワーク。個人が選択肢の中から合理的に最適な行動を選ぶ方法を示す。自己の利益を最大化するための戦略を模索する。次に、個人がどのように協力するか、あるいは裏切るかを解析して、社会的インタラクションのメカニズムを理解した。個人の選択は、周囲の環境や他者の行動に依存している。個人は、個人の信念で常に行動するわけではなく、周りの反応や、環境で行動を決めている。
相手が取る可能性のある行動を考慮しながら、最適な戦略を選択する。リターンを評価し、それに基づいてリスクを取るかどうかを決定し、利他的行動と自己中心的行動の間のトレードオフは、個人の倫理観や社会的責任感。
ラファウは明らかに、利己的な人間として描かれていた。よって、死を選択するのも、利己的な行動であると考えるのが、普通だね。たとえば、ラファウが適応障害やうつ病だとしたら、反社会的人格障害なら死を選ぶことは理解しにくいがありえる。腹に落ちない理由は、育ててもらった親への感謝、コミュニティなら期待されていることへの喜び、キリスト教への信仰心が描かれていない。彼は、自己愛が強く 利己的な人間なのに 世界の未来のために 行動する。
①自己愛が強く
②他者を見下し
③自己中心的な行動をとる
彼は、自己愛性人格障害 といえる。自己中心的な行動、誇大な自己評価、他者への共感の欠如を特徴とする。この障害は、過剰な称賛や特権を求める傾向があり、他者を利用することで自己の利益を追求します。他者に感謝することやリスペクトすることが難しいため、人間関係が非常に表面的なものになります。相手が重要であると感ずるのは、自分の利益に直結する場合のみ。
それから、反社会的パーソナリティ障害である、社会的規範に対する無関心、他者に対する感情的な共感の欠如。他者を傷付けたり、利用したりすることに対して罪悪感を抱かない。自己の利益のためにリスクを取ることを恐れず、他人の権利や感情を無視することが多い。自己について過度に高く評価することや、他者に対して優越感を持つことは、自己愛の一部。成績優秀や成功していることに過剰に執着する。自己評価が高いことは、内面的な不安や劣等感を隠すための防衛機制とも言える。
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他人を見下す傾向や、自己の行動が正当化されると感じることから、道徳的な感覚が欠如している。倫理感を無視し、自らの利益を最優先にする行動が続く。
信頼関係を築くことが難しい。周囲との関係が希薄になり社会的孤立を招く。彼らは他者との感情的なつながりを理解できない。ラファウは、他者への共感が欠如しており、感情的な結びつきを拒絶していた。
こうした人間関係の問題や社会的孤立は、うつ病や不安障害などの合併症を引き起こす。自己愛性人格障害者は、他者との関係の破綻や社会的孤立によって深刻な感情的苦痛を経験する。それは、ドラマには描かれていないが、ラファウのキャラクターを組み立てる時に作者はこうしたことを考えだと思う。
物語では、ラファウのネガティブな感情については描いていない。そこは必要ないと考えたのだろう。なにしろレジェンドなわけだから。だから、リアリズムというより、より物語を盛り上げるための人物をつくった。そこに、違和感を感じた。こうした人は難しい感情に対処するために、依存症に陥る。この場合、ラファウは、地道説への依存症と考えられる。当時、薬物はないからね、こうした人は、自己評価が低下した場合や人間関係における失敗を感じた場合に自傷や自殺に走る。よって、自ら死を選ぶという、自殺の可能性がある。自己愛性人格障害や反社会的パーソナリティ障害は、人間関係でのトラブルや犯罪行為に直面し、結果として自らの心理的健康も損なわれ自殺する可能性が高い。サイコパス的な人間に魅了され、自分を見失う可能性があるなら、それに対処する必要がある。
それが、今回の、長い文章を書いた1番の理由。サイコパスが、全てダメとは思っていないし、サイコパスに魅了されて、生き方を決めるのも個人の自由。僕が伝えたいのは、人がものを判断する時のパターンと、構造。理性的に判断することは、リスクを減らすことでもある。もちろん、リスクを取る生き方も自由。だが、親としては、できるだけリスクを回避したいと願うね。人は、成長する過程で、いろんなことを学ぶので、自殺は、短絡的な判断だと思う。彼には、、親がいないからね。自分を育ててくれた人に感謝すべきなのに、馬鹿にしているからね。どんなに悲しむか考えれば、ああした行動を取る前に悩み苦しむと思う。地動説だろうが、天動説だろうが、普通の人にはどうでもいい。よって、そうした抽象概念のために死を選ぶということが、彼のヒロイズムを刺激したのかもしれないね。クリエイティビテイの側面から考えると同調圧力に屈しないことが才能になるクリエイティビティの必要ない世界の方が多いね、ただ、科学の神がいてそれがラファウの死を選び、生贄として神に捧げられたという見方もある。
人は、成長する過程で、いろんなことを学ぶので、自殺は、短絡的な判断だと思う。彼には、、親がいないからね。自分を育ててくれた人に感謝すべきなのに、馬鹿にしているからね。どんなに悲しむか考えれば、ああした行動を取る前に悩み苦しむと思う。地動説だろうが、天動説だろうが、普通の人にはどうでもいい。よって、そうした抽象概念のために死を選ぶということが、彼のヒロイズムを刺激したのかもしれないね。
こんな馬鹿馬鹿しい世界自分から死んでやるおれは 真実の殉教者だぜと最後まで自分に酔っていた
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