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<短編小説> 慟哭のチェロ

九十二歳になるチェロ奏者、松平清二は夏の饒舌さが苦手であった。豊満な光を放つ積乱雲とその上に見える紺碧の空が目に痛い。密度濃く生い茂る草木と羽虫の群れ。高湿度の空気を裂くかのようにいきなり降り始める雨。再びじりじりと照り付ける太陽と大地からの蒸散、そして陽炎。まるで自然界に行き渡る水の循環が加速度を帯びたようだ。地表から空の高みまですべてにエネルギーが満ちている。清二はそんな夏が嫌いなのだ。

夏は若者の為にある。その身体の中にほとばしる生殖能力と柔軟な骨肉を持ち、夜の街で、砂浜で、山間の湖のキャンプ地で、あるいは酷暑の歩行者天国で、賑やかに今をむさぼる彼ら若者の季節である。

重いチェロケースを背負い、駅を出てタクシーに乗る。今日もリハーサルへ向かう道すがら、清二はエアコンの効いた車内から夏を見つめる。公園の噴水で水遊びをする幼児を見守る若い母親たち。タンクトップ姿の彼女達のうなじが、汗でほつれた黒髪をへばりつかせたまま艶めく光を反射する。それと呼応するかの様に、小麦色の肌をした子供たちが上げる水の飛沫が、太陽を受けてキラキラと光る。

そんな生命力と希望に満ちているはずの光景に、清二は一瞬でも目元を緩ませはするが、数秒後には自分の中に羨望と嫉妬がない交ぜになった感覚が芽生えるのを見逃さない。そしてたまらなくなり目を閉じるのである。

ここまで独身を通し、ついに家族を持つことなく生きて来た。二十年前までは東京の交響楽団で首席チェロ奏者を務めていたが、七十二歳で楽団を辞した後も、全国各地で、こぢんまりとした演奏会を年に二十回はこなして来た。彼のチェロには一定のファンがおり、チケットはすぐに完売した。ソロイストとしてのアルバムも三枚出している。特に彼が弾くバッハの「無伴奏チェロ組曲」には定評があった。

リハーサルは今日が最後である。週末、清二はオーケストラと共にソロイストとしてサントリーホールのステージに立ち、エルガーのチェロコンチェルトを演奏する。一年ぶりの大きなコンサートである。

九十二歳という年齢とはいえ、清二はいたって健康である。足腰が少々弱ってきている実感はあるが、認知症や三大疾病とは縁遠い生活を送ってきた。旧友たちの殆どがすでにこの世を去った後にも、なぜ自分がこのように健康でいられるのかはよく分からない。しいて言えば、清二は若い頃から粗食であった。しかしそれが自分の身体に功を奏したのかどうかも定かではない。タバコは吸わないが酒は嗜む。特に四十代にイギリスを演奏旅行してからというもの、スコッチウィスキーのオンザロックが彼の一番のお気に入りとなった。
 
そんな老チェリストであったが、「もうコンサートはこれで最後にしよう」と思うのだ。体力よりも最近特に気力の衰えを感じることもある。それとは別に、ここ三年ほど妙な孤独感が清二を包み込み、時々無性に悲しく、そして虚しくなる事が増えたのだった。

エルガーのチェロコンチェルトはホ短調の激しく絶望的な旋律を帯びたチェロの独奏から始まる。最初の数小節で聴衆は否応なしにその曲の世界に引き込まれる。リハーサル会場で指揮者の合図を待ち、演奏を始めた清二の背中を、追奏するバイオリンとビオラの音が包み込んだ。そして彼は目を閉じながら自分の人生の俯瞰を始めるのであった。

太平洋戦争時、清二は学徒動員で招集された。一九四三年の秋、十八歳になったばかりの清二が明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会に参加した時、冷たい秋雨が降りしきる中、観客席で彼を見守る両親から少し離れた場所に一人の女学生がいた。同じ東京音楽学校でバイオリンを専攻していた羽芝基子である。同じ管弦楽講座で知り合った二人は急速に惹かれあい、恋仲となった。

「基子さん、僕が戦地から戻ったら、結婚を前提としてお付き合いしてもらえないだろうか」
 
招集が届いた日の夕刻、清二は学校の傍の喫茶店へ基子を呼び出し、緊張した面持ちでプロポーズをした。

「はい」
 
基子は頬を染めて小さく返事をした。
申し出を受け入れてくれた基子の前で、清二は饒舌になった。

「僕はチェロを職業にしようと思う。結婚したら、チェロとバイオリンの合奏団を作れるくらいたくさん子供を作ろう!」
 基子は心底嬉しそうに微笑みを返した。

帝国陸軍に入隊して三か月後、清二はフィリピンのレイテ島にあった第三十五軍司令部へ配属された。戦況は過酷を極めた。上陸してくる米軍に対し、水際作戦で一度ならず失敗を経験している軍司令部は、清二が所属していた第十六師団に対しジャングル内での徹底抗戦を命じた。鬱蒼とした熱帯雨林での攻防三日目にして、清二は腹部と右大腿に銃弾を受け泥の中に倒れた。生命が危ぶまれるほどの重傷だった。止血処置を施され、衛生兵と仲間の兵士に担架で運ばれる際、仰向けに揺られながら清二はジャングルの木々の上に真っ白な積乱雲を見た。そして意識を失ったのである。

島の北側へ抜け、船に乗せられてルソン島の野戦病院へ送られた清二は、やがて自分が奇跡的な生存者であることを知る。第十六師団一万八千人の殆どがレイテ島で命を落としたからである。出血は止まったが身体に受けた傷は深刻だった。右脚の太腿は銃弾がうまく骨を避けて貫通した穿透創であったが、腹部に受けたものは、右の骨盤から斜め下に向かって足る盲管射創で、未だ体内に銃弾が残っていた。軍用機で寝たまま十時間かけて鹿児島まで戻った清二は、国立指宿病院で長時間に及ぶ手術を受けた。術後の病室の窓からは錦江湾が見えた。そしてそのはるか向こうに桜島が噴煙を上げている。

「これでやっと基子の元へ帰ることができる」
 
日本に帰ってきた事を実感し、清二はほっと溜息をついた。
 
しばらくして、清二は医者から呼ばれた。

「あと一週間もすれば退院できるが、松平一等兵、君に伝えておかなければならない事がある」
 
神妙な表情をした医者の口から出た言葉を聞いて清二は愕然となった。
 
最後まで残っていた弾丸が、清二の膀胱と精巣を破壊していたのである。通常、音速で飛んできた弾丸は生体内に入るとジグザグに突進する。骨盤の中ほどに突入したそれは、高速で角度を変え、右脚の付け根から一度体外に出て再び陰嚢に突き刺さった。膀胱は縫合することで復元できたが、医師は傷ついた二つの精巣を除去し、その場所に当時日本で開発されたばかりのケイ素樹脂を埋め込んだ。見かけだけでも整えてあげようと、若き清二のことを思っての処置であった。

 医師は静かに続けた。

「残念だが、君は子供を作れない。そしてこれははっきりとしないのだが、体内で回転した弾丸が君の脊髄から来ている神経の束の一部も傷つけた可能性があるのだ」

「それはどういうことでありますか」
 
弱々しい声が清二の口からこぼれた。

「性的刺激を受けても、君の身体は反応しないかもしれないのだ」
 
貧血に似た感覚が全身を包み、目の前が暗くなって行くのを感じた。男としての機能を奪われたかもしれないという医師の話は信じがたかった。清二はほとんど礼の言葉も発せず、軽く一礼して診察室を出た。

病室に戻ってしばらくは寝台の布団にくるまり、身体をエビの如く縮めて茫然としていた。そして考えた。あの激烈な戦場の中にあってでさえ、眠りから覚めると清二の若い身体は下半身が膨らんでいた。しかしそれが帰国してからは一切ない事に気がついたのだ。清二は起き上がり錦江湾を眺めた。遠くに見えるはずの桜島は雲に覆われてその姿が見えなかった。

 復員した清二を迎えた両親は、涙を流して喜んだ。東京も度重なる空襲で甚大な被害が出ていた。思い悩んだ挙句、帰宅した三日後に清二は基子の住居を訪ねたが、その家はすでに焼け落ちていた。そしてそこで基子の家族が半年前に長野へ疎開したことを知る。

「良かった。無事であってくれ」
 
清二は祈った。
 
翌年八月十五日の玉音放送から一か月ほど経過して、清二と基子は再会を果たした。長野に家族を残し、基子が東京に戻って来たのは、まさしく清二の消息を求めてだった。

「よくぞご無事で」
 
基子の大きな目が涙でいっぱいになった。

実家の門前で清二はあたりを伺いながらも、基子の手を取って引き寄せ、その華奢な身体を抱きしめた。腕の中で基子の嗚咽が聞こえた。

 小岩の親戚の家に身を寄せた基子は三日と開けず清二を訪ねた。清二の両親も基子を気に入り、母親などは「基ちゃん」と呼び、一緒に闇市に出かけたりもしていたが、清二はどこか落ち着きがなかった。

大腿部を負傷して帰国したとしか両親には話していなかったし、ましてや基子に真実を話すのはためらわれた。一か月ほど在京した基子が一度長野にいる家族のもとへ戻ることになった時、「物騒だから」と、父から長野まで送り届けるように言われ、清二は基子と二人で池袋駅を出た。基子は清二が自分の家族に逢ってくれるものだと思い、列車の中でも実に楽しそうだった。思いあぐねていた清二がやっと決心して基子に真実を話し始めたのは列車が大宮を過ぎた時だった。

「基子ちゃん。僕は君とは結婚できないんだ」

「え?」
 
清二の話を聞き続けている基子の顔がどんどんと蒼白して行くのを清二は見た。

「だから、君は僕の事は忘れて幸せになってくれ」

しばし涙ぐみ、俯いていた基子だったが、きっぱりとした顔を上げ清二の眼を真正面から見つめて言った。

「子供や夫婦の営みの事など、私は知らない。そんなものが無くたっていいわ。私には清二さんしかいないの」

「いや、駄目なんだよ、基子ちゃん。僕はきっと君を不幸にしてしまう」

「そんなことない! 私は清二さんと結婚する」

「だめだ、できないんだ!」
 
熊谷の駅で止まっていた列車が発車する寸前に清二は席から立ち上がり、通路を走ってデッキからホームに飛び降りた。ゆっくりと動き始めた客車の窓の内側に、涙で顔を歪めながらこちらを見ている基子の顔が見えた。

列車に基子を置き去りにして別れてから半年後、清二は音楽学校に復学した。やがて国立学校設置法の施行で、学校の名前は東京芸術大学に変わり、清二はそこでチェロに打ち込んだ。しかし実家を出て大学の近くの上野のアパートに入居してまもなく、再び基子が清二の前に現れたのだった。今度は有無も言わさず清二のアパートに居座り、洗濯から食事まで自分の身の回りの世話をする基子の情熱に清二は根負けした。思えば今でいう同棲の先駆けでもあった。

最初の内、基子は清二とは離れた場所に布団を敷き寝起きしていたが、やがて清二の方から基子の布団に入って行った。清二は初めて裸の基子を抱きしめたのである。二人は様々な愛の行為を試みたが、結局男としての清二の機能は果たされることはなかった。

「こうしているだけでいいの」
 
基子はその柔らかな肌を清二に密着させ、胸元で目を細めて呟いた。そしてやがて静かな寝息を立て始めるのだった。そんな二人の生活は三年半続いた。
 
二度目の別れも、切り出したのは清二の方だった。もうすぐ二十五歳になる基子には、やはり子供を産ませる力を持った男が相応しい。そして自分の中にも、家庭を持ち、それを育んで行くという事に対する思いが、徐々に希薄になって行くのを感じていた。大学を出て就職した交響楽団の仕事が終わっても、すぐにアパートには帰らず、街角の本屋や喫茶店で時間をつぶし、暗くなってから帰宅する事が多くなっていた。そして結局は、再び泣いてすがる基子を後に、清二は自らアパートを出た。一か月ほど友人たちの家を寝床に借りている間に、基子はアパートを去って行ったのである。
 
その後の清二の人生はチェロと共にあったが、浮いた話も無いわけではなかった。時期を違えて成り行きで二人の女と同棲したこともあった。しかしいずれも二年ももたなかった。そして出会って恋愛をした複数の女たちが必ず口にする言葉があった。

「こうしているだけでいいの」
 
女たちは清二の腕の中で必ずそう言った。しかし彼はその言葉を信じてはいなかった。
そして女との別れはいつも清二の方から切り出した。

「君を幸せにすることはできない」
 
それがいつもの決まり文句となった。

リハーサルが終わり、週末のコンサートの成功を仲間と期しての宴会が会場近くの居酒屋で開催された。楽団の若いメンバーの中に、ひときわ美しい女性がいた。三十歳前後と思しき聡明そうな大きな目が印象的だった。楽団の新人なのだろうか。確かバイオリン奏者の列の後方に座って演奏をしていた。彼女は宴席の中にあって、先輩たちに酒を注ぎながら「よろしくお願いします」と席を移動して動いていた。

「松平先生、坂井麻衣子と申します。先生と一緒に演奏できるなんて幸せです。よろしくお願いします」

「ああ、いやいやこちらこそ」

 そう返しながら、清二は彼女から継がれるビールを受け取った。すると彼女はおずおずと一通の封書を差し出した。

「あの、これ、長野の実家の隣のお婆ちゃんが、先生の大ファンだったんです。私たち仲良くしてて、先生のコンサートにも何度かお連れしたことがあって。そしてもし私がバイオリンでオーケストラに入って先生とお会いすることがあったら、このファンレターを渡してほしいって言われて。そのお婆ちゃん、三年前に亡くなったんですけど、これでやっとお渡しすることができます」

「ほう! それはありがとう」
 
礼を言い、受け取った封書を清二は背広の内ポケットに無造作にしまった。

帰宅後、清二は静かにその封書を開けた。一枚の便箋に見事な筆字で書かれた文章が目に飛び込んできた。

『松平清二様 どれほどの時間が過ぎたのでしょうか。私も子供ができない身体である事が分かり、嫁ぎ先を辞してこれまで一人で生活してまいりました。清二さんの活躍をいつも眩しく拝見し、そして貴方を思い続けてまいりました。次の世でも、貴方に出会いたい。そしてまたその暖かい腕の中で眠りたいと、切に願っております。 羽芝基子』

老チェリストはがくりと膝を落とし、生まれて初めて声を上げて泣いた。

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