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待ちに待った保釈。 ようやく市民の皆さんの前で、私の無実をお話しできる。 こんなに嬉しいことはないのに、大きな不安が襲ってきました。 そんな時に、いつも行うことがあります。 それは不安な時や迷った時、いつも自分自身の原点に立ち返ることです。 保釈前夜、走馬灯のように過去の思い出がよみがえるのでした。 >>>>>>>>>>> 保釈決定が伝えられた翌日。荷物をまとめ、資料などを整理しました。 生活リズムに変化はありませんでしたが、全く寝付けない夜になりました。 (ようやく
勾留から60日。 検察が主張している証拠すべてに同意しているにも関わらず、"罪証隠滅の恐れ"という理由で却下され続けていた保釈が、ようやく認められました。 しかし、会えない人やしてはいけないことなど、様々な条件がありました。 そして、そもそも保釈金が払えないと勝ち取った保釈請求も意味がありませんでした。 >>>>>>>>>> 8月23日の深夜、 保釈が認められたとの連絡がありました。 6月24日から始まった勾留は、60日目になっていました。 その日に保釈されることは手
依然として続く、"人質司法"との戦い。 起訴前、弁護団は勾留取消の何度も手続きを行いました。 起訴後には、保釈と接見禁止の解除をするために多くの書類を提出し、更には、裁判の準備段階である公判前整理手続において、検察側の主張に最大限応じました。 そして、ようやく私の勾留が解けることになりますが、これには13回にわたる弁護士の奮闘がありました。 >>>>>>>>>> 少し時を戻します。 拘留所へ移った時のこと。 拘置所に移ると、身体測定がありました。 定期的なものなの
逮捕直後から勾留されていた留置場から、名古屋拘置所に移送されることになりました。 留置場、拘置所、刑務所、この違いがはっきり分かりますか? この3つの意味は全く異なるのですが、普通の生活をしていれば関わることも、知ることもないでしょう。 そして何より、こんな名古屋の真ん真ん中に拘置所があろうとは、知る由もありません。 >>>>>>>>>> 2014年8月6日、勾留から44日目。 拘置所へ移送されることが伝えられました。 起訴された直後に、移送されることは聞いていまし
取調べが終わった勾留生活。 何もしないで、じっとしていることはできませんでした。 時間の限り、美濃加茂市の資料や、裁判に関わる本を読み漁りました。 そして、気がつけば30歳になりました。 留置場で30歳の誕生日を迎えるなんて、誰が想像していたのでしょうか。 >>>>>>>>>> 毎朝掃除の時間が終わると、本を三冊持っていけます。その際には、留置場の本棚に並んだ古い本から選ぶか、差し入れられた本を読むことができました。途中で交換はできないので、消灯までに読む本を選びま