#52 13回の保釈請求バトル
依然として続く、"人質司法"との戦い。
起訴前、弁護団は勾留取消の何度も手続きを行いました。
起訴後には、保釈と接見禁止の解除をするために多くの書類を提出し、更には、裁判の準備段階である公判前整理手続において、検察側の主張に最大限応じました。
そして、ようやく私の勾留が解けることになりますが、これには13回にわたる弁護士の奮闘がありました。
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少し時を戻します。
拘留所へ移った時のこと。
拘置所に移ると、身体測定がありました。
定期的なものなのか、入るときだけなのかはわかりませんでしたが、なぜか、そこには私ただ1人。現れた看護師さんたちは話しかけるような雰囲気もありません。ただ淡々と検査は進んでいきました。
過酷な取調べから解放されてしばらく日が経っていたためか、体調は比較的良好。それでも逮捕前より5kgも体重は減っていました。最後に医師の診察があり、何か言われるのかと身構えると意外な言葉が飛んできました。
「美濃加茂市長さん、絶対負けたらあかんよ。あんな事件おかしい。ここにいると、おかしな事件なんていくらでもあること分かってるから。応援してますよ。挫けたら負けですよ」
それだけ言うと、診察を済ませた医師は、すぐに去っていきました。
それ以降、この医師と顔を合わせることはありませんでしたが、拘置所の中でも私の事件に疑問を持ってくれている人が居ることを知り、勇気付けられました。
8月12日、世間はお盆真っ只中。
裁判は公判前整理手続きが始まりました。
手続きの開始にあたって、弁護団から説明がありました。
「中森氏との現金の授受の有無に争点を絞り、市役所職員などの証拠には同意します。そうすることで、これまで二度の保釈請求が却下された理由である"罪証隠滅のおそれ"はなくなるはずです」
私は同意しました。
中森氏の「賄賂を渡した」という証言の調書だけは、事実無根であり、争う必要が大いにあるため、裁判の証拠とすることを不同意。それ以外の市役所でのやり取りや市長選挙のことについては、検察の示した証拠にそのまま同意しました。
"検察の証拠に同意する=証拠隠滅の恐れがなくなる=保釈が認められる"
ということを優先する判断を取りました。
よし、これでいよいよ保釈が認められるだろう。
普段は言葉に慎重な渡辺弁護士も
「裁判官が保釈金の話までしていたから、間も無くの保釈で、ほぼ間違いないだろう」
と話していました。
8月15日。公判前整理手続きが行われます。
それにもかかわらず、ここで三度目の保釈請求が却下されました。
その日の夜遅く、渡辺弁護士、山内弁護士は怒りをあらわにしていました。
「検察側の主張に、ここまで譲歩しているのに、保釈しないなんて、裁判所は何を考えているんだ」
この時の却下決定は、裁判所の終業予定時間をかなり過ぎた時間に発表されたようで、裁判所内でもかなり揉めたのではないかと、弁護団は話していました。
ここで一旦、保釈請求にまつわる時系列を整理します。
8月16日。
場所を移すと美濃加茂市では、一大イベント"おん祭 MINOKAMO 2014 夏の陣"の日。年に一度の花火大会、盆踊り大会の開催日でした。
なんとなく、おん祭は地元で迎えられるのではないか。そんな思いも叶いませんでした。
ちなみに当日。毎年、晴れることで有名だった"おん祭"は、この年に限って、大雨で中止となりました。
弁護団は、その後も保釈請求を行いました。
その後の時系列も見てみましょう。
最後の却下は何と、請求後わずか20分で出されたようでした。
その早さに
「裁判所は本当に最後まで保釈するつもりがないのかもしれない」
こんな言葉が弁護士の口から出るほどのものだったようです。
それでもめげずに行った準抗告。
8月23日の深夜、事態は急変しました。
「準抗告が認められた」
"準抗告認容決定"
弁護団の請求、準抗告、特別抗告は合計して13回。
ようやく私の身柄が釈放されることになりました。
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