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#49 いざ、拘置所へ

逮捕直後から勾留されていた留置場から、名古屋拘置所に移送されることになりました。

留置場、拘置所、刑務所、この違いがはっきり分かりますか?

この3つの意味は全く異なるのですが、普通の生活をしていれば関わることも、知ることもないでしょう。
そして何より、こんな名古屋の真ん真ん中に拘置所があろうとは、知る由もありません。

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2014年8月6日、勾留から44日目。
拘置所へ移送されることが伝えられました。

起訴された直後に、移送されることは聞いていましたが、それから早3週間。
そんな記憶も薄れる頃です。
移送前の保釈獲得に弁護団は奔走しましたが、結果は全て却下。保釈が認められないまま迎えました。

留置場りゅうちじょう
被疑者を取り調べるために留置する場所。警察の管轄で、警察署の中にあります。俗に言われる"ブタ箱"です。

拘置所こうちしょ
検察が逮捕した被疑者、裁判が確定していない刑事被告人、死刑が確定した囚人を拘置する場所。刑事施設で、法務省の管轄です。

刑務所けいむしょ
裁判で有罪が確定し、懲役刑・禁固刑などに処せられた受刑者を収容する場所。刑事施設で、法務省の管轄です。かつては、監獄かんごくと言われました。


原則として、逮捕直後は留置場。勾留が決まったら拘置所という流れのようです。しかし、現在の日本の拘置所には全ての被疑者を収容するだけのスペースが無いため、留置場が拘置所の代わりの施設(代用刑事施設)として使用されることが認められているそうです。

私が読んだ刑事事件の本の多くは、検察が主導。村木厚子さんや鈴木宗男さんは逮捕直後から、拘置所に収容されていました。村木さんは164日、鈴木宗男さんは437日、佐藤優さんは512日。拘置所には一度入ると簡単には出られないイメージが、当時の私にはありました。

留置場を出る時、ロッカーに入れていた本や着替え、また、中で購入した髭剃りなどの多くは、そのまま拘置所に持っていけないということでした。それらの物は、家族のもとへ宅下げ、または不要なものは捨てました。逮捕された時に取り上げられた所持品が、この時に返却され、宅下げになりました。

留置場から長い時間出ていなかった私は、久しぶりに、手錠をかけられ、腰縄を打たれ、春日井署の留置施設の担当さんたちにお礼を伝えました。担当さんたちは、最後まで親切に接してくれました。

名古屋拘置所は、名古屋地検の斜め向かい、名古屋市役所のすぐ東側にありました。そのような市街地にあることを私は全く知りませんでした。拘置所とは、刑務所のような高い壁に囲まれているイメージを勝手に持っていましたが、実際に近くで見ると、都会の大学のような立派で大きな建物でした。

私を乗せた車が建物前に到着すると、ゲートが開きました。中に入ると通過したゲートが閉まり、閉ざされていた二つ目の重厚なゲートが開きました。二重扉の中には、コンクリートの高い壁。そび え立つ様は、まさに監獄。(といってもここは拘置所。本当の監獄である刑務所は如何ばかりでしょう)
それでも、恐ろしいほどの威圧感でした。

名古屋拘置所に入ると、名前等を確認され、写真を撮り、留置場での初日と同様に全身チェックが行われました。ここで働く人は、法務省の職員で刑務官であり、警察官ではありません。慣れた手つきで、私の手続きはあっという間に終わりました。その代わり、留置所のように担当さんが話しかけてくれるような雰囲気は一切ありませんでした。

手続きが済んだ後、大きなエレベーターに乗り、長い廊下を歩きました。拘置所には複数で入る部屋もあるということでしたが、私は単独室を案内されました。部屋の大きさは留置場と同じで3畳一間にトイレでした。
ただ、留置場の居室とは大きく異なり、蛇口のついた洗面台、鉄格子のついた小さな窓、壁には本や物が置ける棚、床に座って字が書ける高さの机、大きめの目隠しになるような衝立ついたて がありました。
廊下からはドアについた覗き窓から中を見られるだけで、留置場の牢屋とは全く異なる環境でした。

新たな部屋の方には備品が揃っていましたが、孤独感と寂寥感せきりょうかん を強く感じました。

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