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#54 回顧録・私の原点

待ちに待った保釈。
ようやく市民の皆さんの前で、私の無実をお話しできる。

こんなに嬉しいことはないのに、大きな不安が襲ってきました。
そんな時に、いつも行うことがあります。
それは不安な時や迷った時、いつも自分自身の原点に立ち返ることです。
保釈前夜、走馬灯のように過去の思い出がよみがえるのでした。

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保釈決定が伝えられた翌日。荷物をまとめ、資料などを整理しました。
生活リズムに変化はありませんでしたが、全く寝付けない夜になりました。

(ようやく市民の皆さんに、自分の無実を説明できる。しかし、市民の皆さんはどう受け止めてくれているのだろうか。私のことをどう思っているのだろうか)

長く待ち望んだ日が来たにも関わらず、大きな不安が私を襲いました。
人前に出ることが初めて怖くなりました。

市長だけれど、刑事事件の被告人。
こんなにも辛い思いをしながら、市長を続ける理由があるのだろうか。
そもそも、どうして私は、市長になったのか...
走馬灯とは異なるかもしれませんが、寝れない頭の中を昔の記憶がぐるぐるとめぐっていきました。

私は昔.…..

先述のとおり、父は警察官。
幼少期は岐阜県内各地の交番や駐在所を転々とする日々。
中学生になるころに美濃加茂市に引っ越しました。

学生時代は、小学生の頃に始めたサッカーに明け暮れ、そこそこの勉強をしていました。
大学生になっても、特に夢や志はなく、アルバイトや友人と過ごす時間で、それなりに充実していました。就職は、都心の高層ビルで、私服でカッコよく働きたいという漠然としたイメージを持っている程度でした。

そんな私に転機が訪れました。
大学院2年生の時に、東南アジアへ。いわゆるバックパッカーと呼ばれる貧乏旅行を思い立って始めました。
船で大阪から上海へと向かい、バスや列車を乗り継ぎ、中国、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイを無計画に周遊しました。約2ヵ月間の旅は、バックパッカーとしては短いですが、観光地巡りではない、現地の人や世界中から集まる人たちと触れ合うことができる貴重な機会となりました。

そこで私は、学校や教科書では学べなかった光景を目の当たりにしました。
アジアの子どもたちの目の輝き。世界中の若者が夢を語る姿。日本人を尊敬しているアジア諸国の人々。机では学べないリアルに衝撃を受けました。
路上に使い古された教科書を開き、キラキラと目を輝かせながら文字を書き写し、私を見つけると日本語を教えて欲しいと集まる子どもたち。彼らのエネルギーに日本人の私たちは、子どもたちは、太刀打ちできるのでしょうか?

酒場では、自分の国の誇りを語り、世界中の出来事に関心を寄せ、一人一人が将来の夢を堂々とぶつけ合う。日本の酒場で夢を語れば、煙たがられ、相手にされず、政治や社会のことを話題にすれば変わり者だと揶揄される。そんな軽蔑が怖くて、身近な問題や世界の課題から目を背けたままでいいのでしょうか?

そして、当時(2007年頃)のアジア諸国には、日本人を尊敬している人が多くいることに驚きました。彼らは、私を温かく迎えてくれたのと同時に、現在の日本の姿を残念に思っていると話してくれました。私たちの世代は、先人たちが築いてきた国際社会における信頼と経済的な豊かさの上に生きていることを実感しました。日本のパスポートは「世界で一番価値がある」と多くの外国人に言われました。そんな財産を、私たちはどれだけ食い潰してしまっているのでしょうか。そして、私たちは次の世代に何を残すことができるのでしょうか?

膨大な量のインプットから、それでも想う一つのこと。
与えらえた人生を、このまま自分のためだけに浪費していて良いのか?
何かの役に立てなくて良いのか?
旅をする中で、そんなことを毎日毎晩、考えるようになりました。

そんな時に思い浮かんだのは、子どもたちの顔でした。

私は高校卒業直後から、学習塾でアルバイトをしていました。バックパッカーの直前にも、時給が良く、子どもが嫌いではなかったため、塾の講師を続けていました。
アジアでの道中、一人考えているときに頭に浮かんだのは、教え子たちの顔でした。

『私が感じたことを、子どもたちに伝えたい』

そんな思いが日に日に強くなる中、私は旅を終えて帰国しました。

帰国後、東京で良いお返事をいただいていた就職の話を断りました。大学院での単位は全て取り、残すは修士論文の研究だけでしたが、やり遂げるだけのエネルギーを保てなくなってしまい、辞めることを決意しました。

そして、学習塾でお世話になることになりました。
自分が感じたことを子どもたちに伝えるため、まずは信頼される講師になろうと、多くのことを独学で学びました。教育関連、社会問題の本を読み漁りました。子どもだけでなく、多くの保護者と向き合うことで、家庭環境の違いや一人ひとりの価値観の違いというものを目の当たりにしました。

自分なりに、大きな目標とやりがいを持ち、子どもたちと毎日向き合っていましたが、間も無くして更なる転機が訪れました。

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