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学校に行って良かったと思う

はじめに

現在、日本でも様々な選択肢がとられるようになったと思います。
認められるようになったというべきかもしれません。

ただ、社会的なものとして、不登校とか、ニートとか、
学生に限らず、問題視されている部分もあります。

教育として、学校だけではなく、フリースクールなど、
居場所としても機能する教育現場が増えてきました。
認知度としても上がっていると思います。

そんな世の中の流れの中で、
私が学校に行き続けた理由について
なぜ、耐える事ができたのかを言語化し、発信します。

今の世の中の流れに100%反対の意見を述べる記事ではないこと、
 あくまで自分なりの感覚・価値観・思考であることをご理解ください
。)

この記事を見つけていただいた親御さんが、子供の声を聴かずに、私の声を優先するのは絶対にやめてくださいね。

学校に行きたくない時期はあった

私も、学校に行きたくない時期はありました。
特に、小学校低学年は行きたくありませんでした…

登校するため、家を出て、歩いていく中で、
行きたくなくなり、来た道を戻る。

時には、感情がわからず、泣きながら、家に帰ったり。
泣き止むまで、ゆっくり歩いて、遅刻していったり。

近所の方に、見つかって回収されることもありました笑

だからこそ、成長した今、
各媒体で知る、子供が学校に行きたくない気持ち、
理由を聞かれても、何も言葉にできない感覚
などは共感ばかりです。

学校に行った理由

理由① 学校に行くことが当たり前(親の感覚)

世代が違う親の感覚として、学校に行くことが当たり前だと考えていた。
話の流れで教えてくれました。

自分たちの世代は、学校に行くことが当たり前。
だから、子供に対しても、学校に行かせることが当たり前。
特に、違和感や疑問はなかった。
自分にとっては、それが普通だったから。

親の世代からすれば、当たり前だと思うので、
特に批判するつもりはありませんが、
振り切った考えだな と今でも思うところはあります。

理由② 病院の中にいると、学校に通っている子たちが羨ましくてしょうがない

過去、先天性の疾患があり、学校に行かず、
入院生活をしていた時期がありました。

通院も多く、遅刻や早退をすることも。

学校に行かずに、入院病棟の中にいると、羨ましくなりました。
部屋によっては、学校が見えるので、
なぜ自分はここにいるんだろうと
よく考えていました。

だからこそ、行けるときは、嫌でも行こうと、
感覚的に決めていたのかもしれません。

入院の後の、久しぶりの学校なんて、嫌でしょうがなかったです笑
何言われるかわかんないし、接し方もよくわかんないし、席変わってるし、変な冷やかしばかりだし)

理由③ いじめをうけても、まあ当たり前 集団いじめではなかった

実際、自分の持病がきっかけで、いじめは受けました
ただ、よく想像されるクラス全体で、とかではなく、
数人だけだったので、正直、耐えやすかったです。(言い方は悪いですが、お許しください)

ただ、当時はものすごく感情的になりました。
そのくらい嫌な出来事でした。

ヒソヒソと言われることも日常でしたが、
自分の持病のせいなので、言い返す言葉もありませんでした…。


誘われて、悪い事にも、手を出しそうになったこともあります。
それだけ、悪い人も近づいてきましたし、
当時の私からすれば、自分と関わりをもってくれるなら…と
少しでも繋がりを求めていたのだと思います。

あまり、いじめのようなことがあっても、
いじめだと捉えないようにしていたのかもしれません。

過去のことなので、曖昧な部分はありますが。

理由④ とりあえず毎日行くことが当たり前だと思っていた

理由①は、親の考えでしたが、私自身も、当たり前だと思っていました。
親の考えが浸透していたわけではなく、世間一般的にそうかな? と
なんとなくで考えていただけですが。

単純に、行かなければいけないから、行くか って考えてました。

余談ですが…

何か一つでも、行く理由があれば、行動のきっかけにはなると思います。
私の当時の行く目的は、片思いしていた子を見るために毎日、通っていただけなので…笑

学校にいって良かった!

今となっては、学校に行って良かったと思っています。

理由① 世間一般から外れなかった

持病があって、人と違うこと、同じような生活ができないことは、
小さいながらに気づいていました。

だからこそ、普通になりたくてしょうがなかった
普通に学校に行く という感覚が羨ましかったからこそ、
行けた部分もありますが、
結果的に世間一般から外れないことにもなりました。
(当時はまったく考えていませんし、行き続けることに100%の賛成はありません。しんどいなら、辛いなら逃げることも立派な行動だと思います。)

理由② 後の学校生活での経験に繋がった

行きたくなかったのは、小学生時代でした。
中学生時代は、自分を変えるために、表に出る事を選択しました。
学級委員とか、指揮者とか。(経験なんか一回もありません)

小学生時代に行かないことが自分の当たり前になっていたら、
中学生になった後の経験は一つも得られなかった
と思います。

さいごに

強調しておきますが、今回の記事は、
どんな理由があっても学校に行くべき、行かせるべき という話ではありません

あくまで、私は、学校に行く選択をしたことが、個人として正解だっただけの話です。

ただ、世の中の流れとして、おかしいと感じる部分、
振り切りすぎている部分があると感じたの
で、
私の意見・エピソードを発信しようと思いました。

世の中の教育・不登校・居場所に何かしらの悩みや疑問を抱えている人に
思考の材料として取り入れていただければと思います。



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