義妹の結婚
妻には歳の離れた妹がいる。僕には義妹となる(以下、ギマイと書く)。
妻と付き合い出した頃は、まだ高校生だった彼女も、いまや50代半ば。もう15年ほども前のことになるが、当時、大学生だった長男が両親の僕らに向かって真顔で訊くのだった。
「タマミちゃん(ギマイ)の老後の面倒は誰が看るん? 生物年齢的には二人が先に逝くよね」
「それは、君ら兄弟のどっちかだろが」
「ぎょえ……」
「ま、その分、ちゃんと面倒看た方に、財産もちゃんと遺してくれるさ(残っていれば、だけどね)」
色々あって、ギマイはいまのいままで独身である。出戻りや旦那さんと死別の挙句のシングルアゲインとかではなくて、正真正銘の独身、バツゼロの、ピッカピカの独身なのであった。
義理ある仲だからと言って贔屓目に見ずとも容姿端麗、なかなかイケているギマイがここまで独身を貫き通してきたのには、大きくは2つ理由があろうかと思う。ひとつは、男の面倒看の悪さ。いまひとつは、親の面倒看の良さ、である。
前者については——ギマイの彼氏であったためしは一度もないので——実際のところはよくは分からないのだが、ギケイの僕に対しても、あんまりだろうが、その言い方は……という、こっ酷い物言いの2つや3つや20や30は過去にある。
申し訳ないことに、そんな尊大な態度ばかりに目がいって、どうせ両親に対する態度も同じようなものだろうと高を括っていたのであった。結果的には、しかし、僕ら夫婦がニューヨークに住み、札幌に住みして、仕事や子育てを好き勝手やれたのも、実は何事にも泰然自若としたギマイが実家に独り残ってくれて、両親の老いと逃げずに向き合ってくれたおかげであったということ、最近になって、いまさらながらに思い至る機会が増えた。
義父が先に逝き、残された義母も直にボケた。これでは外出もままならない、と困ったギマイは即行動に出たのであった。
ペット用の見守りカメラを3台も4台も仕入れてきた彼女は、果てはトイレの天井にまでカメラを設置。義母の移動に従って、手もとのスマホでカメラを切り替え切り替えしながら、
「ママ、そっちはダメ! もう少し寝てようね」
などと呼びかけ続けたのだという。
最初の頃は天井のスピーカーから聴こえてくる娘の声に怪訝そうな顔をしていた義母も、やがては慣れて、
「はいよ。はいよ」
と素直に従うようになったのだとか。とはいえ、急きょ帰宅を余儀なくされる場面も一度や二度ではなかったはずで、ギマイの婚活は、本当の意味では義母が亡くなるのを待つより他なかったわけだ(2022年逝去)。
かくして、先の日曜日の午後、ギマイは彼とケーキと婚姻届を帯同して、我が家にやってきたのだった。
その朝の、妻の落ち着きのなさといったらなかった。「彼」はギマイと一緒にもう何度も我が家に来ていたし、長男夫婦とも次男夫婦とも会って食事もしている。一度などは、奥多摩のカフェでばったり長男夫婦と遭遇。4人してビールをしこたま飲み交わしたのだという。
そうであっても、今日はファミリーにとって特別の日なのだ。あれだけ「男の面倒看の悪い」妹が、先の人生、面倒も看合い、干渉もし合う相手と選んだ人である。歓待もし、応援もしたいというのが、僕らの偽らざる気持ちだ。
さて、日曜日の夕方4時にやって来たギマイと彼が僕らと食卓を囲んで楽しそうに高笑いするのは、それはそれでいい。ただ、「お二人に婚姻届の証人欄にささっと署名して欲しいの」ということではなかったのか。その紙っぺらは一向に出て来ないし、そもそもがさつなギマイのこと、家に忘れたのではないか。
サルトルとボーヴォワールが「契約結婚」によって、いわゆる事実婚の走りとなったのは、実に百年近くも前のこと。以来、サルトルが1980年に亡くなるまで、二人は半世紀の「内縁」関係をまっとうしたという。——ギマイよ、そういうやり方もあるのだぞ。
勤務先大学には提携先のカナダの大学との間に「教員交換制度」というのがあって、僕も2003年夏からの半年間、向こうに派遣されたのだが、カナダからやって来る交換教授の事実婚率は50%程度、というのが受け入れ側としての肌感覚である。結婚に慎重なのではない。ただ、面倒なだけなのでは……。——こんなことがあった。
もう20年近くも前のこと、とあるカナダ側の男性の「交換教授」内定者から日本側の事務局に問い合わせのメールが入ったのだという。曰く、
「規定にあるカナダ・日本間の旅費がなぜ自分に出て、妻には出ないのか?」
こちらの事務局にしてみれば、二人はいわゆる事実婚であり、婚姻関係を証明するものがなにもない。旅費がカバーされるのは派遣教員本人とその法的な配偶者に限るのだ。そんなこんなをメールで知らせるや否や、即届いたリプライには、
「なるほど。そんなことか。分かった。ならば、ただちに入籍して、すぐに証明書を送る」
とあるではないか。そんなことで婚姻届を出すのか、という驚きよりも、そんなことでもない限り婚姻届を出さないのかの驚きの方が大きかった、とは担当者。まったくもって同感である。——ははーん、そういうことかもしれないな。ギマイにとって、婚姻届の一枚ぺろっと提出するということは、何か直接的なメリットでもあるんかな。それなしには家のローンが組めないとか?
もう吉祥寺行きの終バスも終わろうかという時間になって、紙袋からやおら婚姻届を出して来た彼。すでに二人の欄は埋められていたから、後は僕らが証人欄にサインするだけ。
家内は、肝心な場面で、気でもはやるのか、よく凡ミスをするのだが、今回も住所の番地欄を間違えた。僕はと言えば、(緑内障のせいで)細かい文字は苦手なので、「弘紀」の「紀」は達筆を装って細部を誤魔化した。
「あの二人、ちゃんと書類提出したかしら?」
と、なおも半信半疑の妻。ギマイよ、このたびは本当におめでとう! そして、これからも、ある程度は尊大な態度で構わないから、末長くよろしく。
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