吉田キミコ画のある風景②: どんな美術館をつくろうか
あんまり誇れた話ではないのですが、僕は吉田キミコ作品を——主には「大きな油絵」を——長く月賦で買い増してきた、ちょっと気恥ずかしい蒐集家です。「ちょっと気恥ずかしい月賦払い」の僕には、しかし、いくつかの矜持、自慢もあります。
自慢のひとつは、例えば、この15年、ただの一度も支払いを滞ったことがないこと。でも、一番の自慢は、結果として個人蒐集家としてはちょっとした点数のコレクションを持ち、ある時点から、これはいずれ美術館もイケるのではないか、と(大きいのはともかく)「小さな吉田キミコ美術館構想」を夢想するに至っています。
すっかり余談になりますが、僕は80年代の終わりにアメリカの大学院で「非営利組織(NPO)経営」という学問領域に出会いました。その後、91年に帰国したのちも細々と研究を続け、幸運にも札幌の大学に職を得ることができました。
美術館は、例えば東京なら上野の国立西洋美術館*のように、元は国立や自治体立としてスタートした「政府の美術館」もあれば、例えばニューヨークならメトロポリタン美術館やMoMA(ニューヨーク近代美術館)のように、「民間非営利の美術館」もあります。で、実は世界的に見れば、後者の方がむしろ主流です。
*「国立西洋美術館」は2001年に独立行政法人化され、現在は厳密には「国立」ではありません。
つまりは、気がつけば、非営利組織経営の専門家としての僕は、うんと広い意味では「美術館経営の専門家」と(無理すれば)言って言えなくもなく、しかも、気がつけば、吉田キミコ作品を「小さな美術館」なら今日からだって開けるくらいの点数持っているというわけです。——これは、僕が吉田キミコ美術館をつくらずして誰がつくると言うのでしょう。
もっとも、資源が足りない、視力が足りないという、二大「足りない」問題の高い壁が厳然とそこに立ちはだかっています。
非営利組織(NPO)と営利組織(企業)とを問わず、経営には「資源」としてのヒト・カネ・モノ・情報などをいかに獲得するかが肝となります。僕の場合、とりわけ「モノ」としての美術館そのもの、つまりは場、器をどうするかは悩ましい問題です。実は、静岡県の熱海市に意中の建物があるにはあるのです。ただ、そこでは東京から距離があり過ぎて、今度は「ヒト」としての協力者があまりにも少なくて……。ここはキミコさんも含めた、広い意味での利害関係者の理解と共感を得られるようさらに丁寧なコミュニケーションを深めていかねばと思います。
加えて、持病である緑内障に起因する「眩しさ」「見えにくさ」の問題も、美術館の自称「初代館長」候補としては大きな不安材料です。もっともキミコさんの作品群全体には、キミコさん自身が少女時代、病気の療養で自宅で多くの動物たちと過ごした日々の原風景、原体験が、いわば通奏低音のように通底しています。緑内障は「悪くしない」が関の山で、現代医学を持ってしても「良くなる(良くする)」は難しい病気とされています。いまや病気と折り合って生きること確定の僕こそは吉田キミコ作品のシニア・キュレータに相応しいのだ、と目下、自分自身に刷り込みしている最中です。
キミコ画の魅力のひとつは、観る者は絵の中の登場人物(犬、兎、豚などを含む)誰か彼かと常に正対することになること。つまり、真正面からあなたと相対で会話してくれる誰かを吉田キミコ画の中に見出すことができるわけです。装置としての吉田キミコ美術館は、であれば、あなたを放っておくあらゆる工夫にアイデアを凝らすべき、と思うのです。例えば、「ナイト・ミュージアム」を突き抜けた、
「貸切で泊まれる美術館」
なんかはどうか、と想像力だけにはタガ“を嵌めないようにしているのであります。
ちなみに、実現の時期はともかく、musée de kimicoの看板だけは、それとはなくキミコさんに発注済みではあるのですが、さーて……。