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よしよし、だいぶ障害者力がついてきた

緑内障を急に悪くしてから色々とあった。

日本でのコロナの感染爆発は、2020年2月の札幌の雪まつりも「震源地」のひとつとされたが、まさにその時期、大雪像会場とは目と鼻の先の「時計台記念病院」で左目の手術を受けていた。緑内障を進行させる元凶とされる不安定な眼圧をコントロールするべく、白目にドレイン(排水孔?)を開けるという、聞いただけで身の毛もよだつ手術であった(が、その実、やってみれば痛くも痒くもなかった)。

眼圧をある程度制御できて後も、相も変わらず「眩しさ」に悩まされ続けた。日中のお天道さまや、オフィスやコンビニを煌々と照らす蛍光灯がどうにもダメで、四六時中モグラでいられるバーかシメパフェ専門店でもやるより他ないかと諦め気分でいた。

そんなとき、吉祥寺の主治医の先生が発したのが、

「白内障もだいぶ進んでますね」

の一言。早く言ってよお……、と独りごちながら、今度は濁った水晶体を眼内レンズで置き換える手術を受けた。かくして、めでたく昼間人間にやっと戻れたような次第。いまやハワイかモルディブ辺りのヤシの木の下で、タピオカドリンク屋台もやれそうな心持ちである。

そんなボロっちい両眼と折り合いをつけながらやってきたこの4、5年、なんとかその隘路の先にかすかなゴールの光明が見え隠れするいまも、依然としてひとむらの暗雲が垂れこめている。実は、目がね、メガネにいつまでも慣れないの。

長年お世話になったコンタクトとは眼圧調整の手術を機におさらばした。代わりにかけ始めたメガネも、白内障の術後に吉祥寺の先生のところできちんと度数を合わせてもらった。なのに、依然、メガネの生活に慣れないのである。

ここは説明にちょっと工夫を要するが、もちろん、メガネをかけないよりかける方が見え方は断然いい。ただ、ときに頭痛を伴うほど目ん玉が疲れる……というか痺れる。

これがメガネさえしなければ、例えば、日がなスマホやパソコンの画面を喰い入るように眺めてもまったく疲れないのだが、その代わり、世の中はボヤけきっていて良くは見えない。

割と見えててもほとほと疲れるプランAか、まるでボヤけててもほぼほぼ疲れないプランBかの究極の二択。——もちろん、たいがいの日はプランAとプランBとの併せ技でなんとか1日にメリハリをつけているのだが。

仮に、この先の人生、プランB一択、すなわちメガネなしで気力万全ながらも視界全然なパターンで貫き通すとしたら、どんな仕事や生活の仕方が待っているのだろう。

当面は学生を相手に現在の授業を持ち続けるのなら、例えば、オンライン中心なら学生の誰や彼やが目の前35センチのスクリーンに入れ代わり居並ぶので問題は少なさそう。画面分割も理想的には4分割以内。最大譲歩しても8分割辺りが限界か。さもなくば、身代わりにバービー人形を置かれても、視界の端にやけにスタイル良さげなのが1人いるぞ、くらいしか認識できないかもしれない。もっとも、目が悪い分、学生の発言の一言ひとことがより強く届く。傾聴力爆上がりなのである。

あるいは、ネット証券アプリを駆使した株式トレードならイケるかもしれない。もっとも、株価のトレンドを読んで売り買いを繰り返すデイトレードやスイングトレードは、株価のチャートはなんとか追えても、数字の入力ミスで、とんでもない誤発注をかけそう。かといって、「買ったら売るな。売るなら買うな」が原則の長期トレード中心ならお正月三ヶ日の買い注文入力だけで、後は果報は寝て待て状態がただただ続く。「仕事」と呼ぶにはあまりにもヒマそうなのが玉に瑕。

ならば、この機会に、長編の小説でもものしたいと思わなくもない。ただ、テーマとアプローチ(=小説のジャンル)が悩ましいのは学生時代に同じ。

学生の頃から、例えば、カート・ヴォネガットのようなジャンルと時代とを超克した小説が書きたい、と頭の片隅でずっと考えてきたように思う。思うだけでいまをもって書けてないのは、これといったテーマがないから? 突き詰めれば、日々の生活も目的意識が常に希薄、あるいは欠如という根本問題に思い至る。

JR中央線を荻窪が始発の地下鉄丸ノ内線に乗り換えると、何回かに一回、たびたび見かける白杖の若い女性がいる。ときに同じ車両の斜向かいだったり、ときにすぐお隣りだったりする彼女は、座席に座るなり白杖を小さく折り畳んでバックに仕舞い込むと、やおらスマホを取り出してネットを手繰るのが常だ。歩行を白杖に頼る彼女が、スマホはちゃんと使いこなしている風なのがずっと不思議……というか、謎だった。

こうして、しかし、自分も同じ立場の入口に立ってみて分かったことが二つ。

ひとつは、健常者——こと目に関しては「晴眼者」の言葉あり——と障害者の間にあるのは、いわば、カフェオレとカプチーノほどのビミョーな違いの、無限連続のグラデーションだということ。そもそも、定義上も「晴眼者」と「視覚障害者」の線引きはなかなかに難しい。

いまひとつは、たとえ健常者として生を受けたとしても、人は遅かれ早かれ障害者力を段々に身にまといながら老いていく、そして、いずれ障害者として逝くということ。

未だ目がね、メガネに慣れない僕は、これからますます障害者力を身につけながら、多様な生き方、新しい仕事の仕方を編み出しては体現していくだろう。未だ慣れないこのメガネ越しに、ハガネの心で新しい世界を見てやろうと思う。失くしたもの、足りたいものを、残ったもの、まだあるもので埋め合わせながら生きるは意外と奥深そうで、小説の一編も書けそうだ。


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