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下町は、ちょっとカオスな緑のオアシス
最近よく、錦糸町から押上、曳舟あたりをカメラ片手にお散歩している。
お楽しみのひとつは、「小さな緑」をみつけることだ。
公園や並木などの「パブリックな緑」ではなく、個人宅やお店の前に並ぶ鉢植えなどの「プライベートな緑」が味わい深い。
「街歩きwith一眼レフ」シリーズ第2弾は、ちょっとカオスな下町の緑をご紹介します。第1弾はこちら。
お供はいつものこの子、Nikon D3300です。
醍醐味は「野良アロエ」
下町の緑のメーンキャストの1人は「アロエ」だ。
「なぜ?」と笑いがこみ上げてくるほど、あちこちにアロエがいる。
鉢植え以外に、こんな野趣あふれる勢力もある。
こんなのを「野良アロエ」と命名して愛でている。
昔、実家のお隣さんにもアロエがあって、小さい頃に足にひどい火傷を負ったときにペタペタ貼られた。あの民間療法、大丈夫だったのか。
閑話休題。
とにかく、この町は、アロエにあふれている。
もしかしたら、生粋の墨田区民は私の知らないアロエ活用法を知っているのかもしれない。
実は主食になる、とか。
知らんけど。
「公私の境」を超える
「野良アロエ」が象徴的するように、「プライベートな緑」はときに公共スペースにはみ出て、公私の境を曖昧にする。
これが楽しい。
「歩道にデカい植木鉢、ドン!」である。
堂々としていて、大変よろしい。
上の例は、珍しくもないし、それほど大胆でもない。そこら中にある。
玄関先やら街路樹の足下やらは、「我が家の延長」扱いなのだ。
よく前を通る歯医者さんは、敷地内にも山ほど鉢植えがあるのに、歩道にも盛大にはみ出している。
「発泡スチロール」上等
子どもの頃に見かけた「発泡スチロールにひとまず植えとけ」も健在だ。
この味はプランターでは出ない。
「おもしろレトロ系」に偏っているので、素敵なのを少し挟みます。
最後のやつ、「そんなとこに勝手にバラやらヒマワリやらを植えて良いのか?」などと気になるようでは、この町に住む資格はない。
ええねん。
「這わせている」のか「這われている」のか
なぜか「這わせている」建物が多い。
これも「カオスなオアシス」に潤いを与えている。
これなんて、「器なんて、なんでもいいんだよ!」と言いたげな空き缶を利用したスタイルが心地よい。
「這わせている」のか、「這われている」のか分からなくなっている案件も愉快だ。
カオスな緑は足元からもコンクリートジャングルを侵食する。
そんな勢力も、猛暑には勝てない。
いや、誰か、水あげようよ(笑)
地に足の着いた生き方
こうした「プライベートな緑」は古い構えの家屋やお店に多い。
担い手は地元民、長くこの地に住んでいる人たちが中心だろう。
写真を撮るのは控えたが、水やりをしているおっちゃん、おばちゃん、おじいさん、おばあさんの姿をちょいちょい見かける。
庭どころか駐車場もない昭和な自宅に、ささやかな緑を配する。
それに飽き足らずに、パブリックな空間も利用して緑で埋める。
このちょっとカオスな緑がなければ町は随分と殺風景になってしまうだろう。
私自身はこうした「プライベートな緑」の担い手ではない。
ロンドン時代、5人家族にはやや手狭なのに庭だけは無駄に広い家に住んでいたのだが、2年で帰国する予定だったので、何もしなかった。
引っ越しを繰り返す根無し草は「プライベートな緑」と相性が悪い。
地元民による「歩道に植木鉢ドン!」には「自分たちの街」という意識が濃厚に漂う。
この人たちは、地に足がついているのだ。
区役所あたりに「公道に植木を置いている奴がいる」と苦情を申し立てる野暮天もいない。
たぶん、私はこのまま、どの町でも「よそ者」感覚で生きていくような気がする。
でも、「もらいっぱなし」は悪い気がする。
玄関先に、何か鉢植えでも買ってこようかな。
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