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#22 「私」を形造る言葉 ②求道編

唐突ですが、仕事って、自分の道を探した結果であり、また、過程でもあると思います。
キャリアカウンセリングで、クライアントの「やりたいこと」を問うときは、つまりその人の「道」を探っていることにほかなりません。

この「道」という言葉。
私にとっては、折に付けちょくちょく出会い、その都度我が身のことを考えさせられる、とかく引っかかる言葉です。

「道」といえばこれ!…と私が思う作品はコチラ。
もしも「あーー懐かしい!」と思う方がいれば、同志です(笑)。


山本周五郎著『内蔵允留守』

あらすじ

時は江戸時代、近江の国の若者・岡田虎之助は、剣術修行のために江戸を訪れるが、師範である別所内蔵允は既に隠棲し、旅に出た後だった。いつ帰ってくるかは分からない。内蔵允の家には剣術修行に来た粗暴な浪人たちが居座っている。

浪人にその場を追い出された虎之助は、幸いにも近所に住まう老農夫・閑右衛門とその孫娘に受け入れられ、内蔵允が帰るまで逗留することに。そのお礼にと、閑右衛門の百姓仕事を手伝うことになるが、全く役に立たず、虎之助は己が無力さを痛感する。しかし農作業を通じて、いつしか虎之助は自らが求める剣術の道と相通ずる何かを感じ取るのだった…。

名言登場の場面

物語終盤、浪人たちとの対決を経て、虎之助は閑右衛門と対話します。

閑右衛門は虎之助に問うのです。
「武芸者は師匠から伝書を受け取り、それをもって楽に世渡りしようと思う者が多い。あなたは何のために先生を尋ねたのか?」と。
虎之介が
「先生に道の極意をたずね、剣の秘奥を伝授してもらうためだ」
と答えると、閑右衛門は
「百姓仕事にも極意があり、それは口で教えることはできないし、教えられて覚えるものでもない。すべて自分の汗と経験とで会得するより他にないのだ」
と説きます。
何も言い返せない虎之助に、さらに続く閑右衛門の言葉が刺さります。

若し耕作の法を人の教えに頼るような百姓がいたら、それはまことの百姓ではありません、いずれの道にせよ極意を人から教えられたいと思うようでは、まことの道は会得できまいかと存じます

山本周五郎『内蔵允留守』

この問答を経て虎之助は、ずっとそばにいた閑右衛門の正体を知り、同時に己の道の歩み方に気付く…という物語です。

不思議な再会

実はこの物語は、私が中学2年生の時の国語の教科書に掲載されていたものでした。
多分、人生の「道」を意識したのはこの作品がきっかけだと思います。
当時よほど衝撃を受けたのでしょう。ずっと読み返したいと思っていました。

…にもかかわらず、うっかりタイトルや著者を忘れてしまい、叶わぬまま放置すること三十数年。

奇しくも獣医としてのレベルアップに悩み、打開を目指して転職を決めたとき、ふと「国語、教科書、時代小説」などとググってみると、なんとひょっこり再会できたではありませんか。

過去noteに何度か書いてきたことですが、私は製薬会社でのキャリア形成の失敗に悩み、未経験職に転職しています。
人生に悩んだ時、道を切り開くのは自らの試行錯誤だ…と考える自分。
その原点は、この作品にあったように思います。

そして更なる修行のための転職に成功したタイミングでこの作品に再会できたことは、

今一度、全体のメッセージを噛みしめ、少年時代の感動に回帰して励め!

…まるで誰かがそのように戒め、励ましてくれたようで、とても不思議な体験でした。(続く)


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AKI_「やさしいひと」のキャリアチェンジ
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