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品川神社裏の板垣退助の墓
板垣退助(天保8年1837年ー大正8年1919)は、国会開設に功績があったことで知られている。明治6年1873年に新政府を去ったあと、明治7年1874年「民撰議院設立建白書」を提出。愛国公党を設立し、自由民権運動の先頭に立った。明治14年1881年に政府が国会の開設を約束すると、自由党を設立し総裁に就任している。そうした中、明治15年1882年4月、岐阜で刺客に襲われる。そのときの「板垣死すとも自由は死せず」の名言は有名。
板垣が唱えた自由民権の考え方は、欧米思想の翻案とは異なるもので、平等主義的な考え方を徹底する一方、君主制を肯定し、社会主義は行き過ぎと考えたことなど、大変興味深い(板垣退助Wiki)。
その後、明治22年1889年には大日本帝国憲法が発布。翌明治23年1890年には第一回衆議院選挙が行われ、帝国議会が始まった。板垣は、二度にわたり内務大臣に就任するが、明治33年1900年に政界を引退。その後は社会事業家として活動し、大正8年1919年に亡くなり、ここ高源院の墓地に葬られた。現在、高源院は、品川神社裏に板垣一族の墓地を残したまま、世田谷区に移転している。
アクセス 品川神社拝殿裏に墓地への出入り口がある。品川神社は京急新馬場(しんばんば)北口からすぐ。
板垣退助 中高生のための幕末・明治歴史事典 より
板垣退助名言集 名言まとめドットコム より
板垣退助・大隈重信 明治の国づくり 議会政治 NHK歴史にドキリ
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