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私の東京案内

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#神奈川県

妻田のクスノキ

妻田(つまだ)薬師のクスノキ(楠)を見に行った。それって何といわれそうだが。神奈川県では、有数の胸高周囲と樹齢を誇るクスノキ。樹高22m 胸高周囲11m 樹齢800年とされる。すでに見た「五所神社のクスノキ」と樹齢はほぼ同じか。ただ環境が影響したのか、こちらの方が胸高周囲はより太く、樹高は少し低い。とはいえ枝が四方に爆発するように伸びていて、現在の樹高は22mよりはかなり上にあるように見える。不謹慎なことを言うと、南無薬師如来のありがたい幟(のぼり)が写真撮影上は邪魔。 妻田

鶴巻の大ケヤキ

鶴巻(つるまき)の大ケヤキ(欅)。本厚木(ほんあつぎ)で妻田(つまだ)のクスノキを見たその足で秦野(はだの)の鶴巻温泉まで行き、夕刻に大ケヤキと対面した。これは樹高30m、胸高周囲10m、樹齢約600年(いずれも登録時点)とされる。樹高は現在それほどないように見える一方、胸高周囲は測る位置でもう少しあるように思える。大木を幾つか見てきたが、地面からこれだけの太さがせりあがるものは大変珍しく、一見の価値がある。 大ケヤキの周辺は囲われて小さな公園になり、大ケヤキは「保護」されて

五所神社のクスノキ

湯河原では城願寺の柏槙と並んで、この五所神社のクスノキが知られている。城願寺のものと同じくこちらも樹齢は850年ほど。樹高36m、胸の位置で周囲8.2m。こちらも樹勢が盛んである。 御神木(五所神社HP) 神奈川の名木百選 湯河原町天然記念物 なお、道路を渡ると「明神のクスノキ」がある。そちらもぜひ。 神社入口には倒木したかに見えるイチョウの大木がある。これも樹齢800年という大木である。こちらは冬場で落葉しているだけでなく、樹勢が衰えているようにも思える。そうであれば残念だ

城願寺の柏槙

城願寺の柏槙(ビャクシン)といってすぐ理解されないかもしれない。城願寺というのは神奈川県湯河原にある現在は曹洞宗のお寺。ここは平安末期から鎌倉、地元の豪族土肥氏の氏寺があったところ。そこに樹齢850年ほどとされる柏槙の木があり、1939年に国指定の天然記念物になっている。 木そのものは樹勢がなお強く、生命力を感じさせる。 柏槙というと鎌倉の建長寺にあるもの(三門と仏殿の間の両脇に植えられている)を思い出すが、比べるとこちらは大変樹勢が強く大木化していることに驚かされる。 ここ

ポーラ美術館

 ここも久しぶりの再訪だ。今回は、「部屋のみる夢 ボナールからティルマンス、現代の作家まで」(2023.1.28-7.2)+所蔵名品展を見て来た。ポーラはきちんとしたレストランがあるし、写真撮影がかなり自由であることは嬉しい。今回の展示で所蔵作品では、藤田嗣治(つぐはる 1886-1968)の作品が多数出ていた。ただ残念に感じたのは、現代美術の作品が多数、並べられているなか、所蔵品の核であるはずの印象派の作品は少数しか展示されていなかったことだ。ポーラの所蔵品が現代美術に広が

鎌倉大仏

 鎌倉大仏は台座からの高さは13.4M、仏身は11.3Mとされる(銅造阿弥陀如来坐像 重要文化財指定明治30年1897年・国宝指定昭和33年1958年)。他方、東大寺の大仏は仏身だけで15M, 台座を合わせると18Mとされる。大きさで言えば、鎌倉大仏は東大寺大仏にかなわない。東大寺の大仏は開眼法会が天平勝宝4年752年とされる。鎌倉大仏は鋳造を始めた年が建長4年1252年と分かっているが、完成した年つまり開眼法会が行われた年が分からない。歴史的由来は東大寺大仏は8世紀に遡り、

川崎大師平間寺

 「かわさきだいしへいけんじ」と読む。川崎大師は大正12年1923年の関東大震災で大きな被害を受け、一旦そこから復興したにもかかわらず、第二次大戦時の川崎大空襲(昭和20年1945年4月15日夜)で全焼した。  現在の伽藍は、そうした壊滅した状態からの復興であることを考えると意義深い。  その復興の建築設計を担ったのは、大岡實(みのる 明治33年1900年―昭和62年1987年)という人。この人の名前は、浅草寺本堂(昭和29年1954年)、あるいは増上寺大殿(昭和48年197

長谷観音(はせかんのん)

 鎌倉長谷の観音(かんのん)さまにお参りをしてきた。この観音さまは、正確な製作年代がわかっていない。私は昔からこの観音様はいつのものかとその製作年代に関心をもってきた。現在、長谷観音では造立1300年を祝っているので、以下の寺伝を根拠に721年造立説に立っていることになる。  寺伝に依れば徳道上人が養老5年721年十一面観音菩薩二体を巨大な霊木から彫刻し、一つを奈良長谷寺に納め、一つを人々の救済を願って海中に投じたところ、天平8年736年に至り三浦半島長井浦に忽然と現れた。そ

遊行寺(ゆぎょうじ)

 かつて藤澤に住んでいた折に、時々訪ねたのは、この遊行寺と龍口寺だった。遊行寺の正式名称は清浄光寺。時宗の総本山である。  時宗は四天王寺や高野山でも学んだ一遍上人(1239-1289)が始めた。今回、遊行寺を訪ね、徳川家との関係や、明治天皇が遊行寺に宿泊されたことなどを学んだ。一遍上人というと、念仏踊りが思い出され、庶民的な教えというイメージが私には強いが、どうもこのお寺はそれだけではないようだ。  開山は遊行四代上人呑海にょり、正中二年(1325年)。その後、戦乱のため当

龍口寺(りゅうこうじ)

 日蓮(1222-1282)が龍ノ口刑場で鎌倉幕府によって処刑される危機に陥ったのは文永8年1271年9月13日の明け方のこと。伝承ではこのときまばゆい光が、刑の執行を妨げ、そこに刑の中止を伝える伝令が到着。日蓮は一難を逃れたとされる。その「龍ノ口の法難」の跡地に龍口寺がある。  この寺は、私が藤澤に在住していたときに、時折尋ねたのであるが、正直にいえば、山頂部に向かう坂は急峻でいまだに全容を見るには至っていない。アクセス自体は江ノ電の「江の島」駅から江ノ電の鎌倉方面に向けて