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読書感想#1「暇と退屈の倫理学」暇って、人類にとってこんなに大切なのか。
「暇と退屈の倫理学」
どこの書店でも、平積みで、ポップに「23年、東大、京大で最も読まれた本」と掲げられてる。
東大、京大で読まれる本は、売れるのか? と思いつつ、僕も興味惹かれて購入したので、有効なプロモーションですね。
読了した感想は、「面白い」!
定住社会になったら暇ができた
人類史からこの本は始まります。
遊動社会から定住社会への移行は何故起こったか?中緯度地方の温暖化により、森林が多くなり、狩猟が困難になる。結果、食糧保存が必要になったことで、定住が発生した。
定住社会への移行で、ヒトの生活に暇が生まれ、定住により余剰生産が生まれ、文明が生まれ、文明社会は格差を生み、労働階級には暇は生まれなかったが、有閑階級が暇を独占する。
僕は、今まで定住社会は、”農耕によって始まった”と学校で習っていて、驚きでした。しかも定住が暇に結びつくとは!
暇の歴史
過有閑階級=貴族は暇を消費する術を心得ていた。労働生産性が、イギリスでの産業革命と資本主義で飛躍的に上がり、労働階級に暇が突然発生した。
時を経てアメリカ。フォードの生産体制は、暇=余暇も生産体制の一環に組み込み奨励する。労働者が余暇で休息を取り、労働生産性を上げる事を企図する。つまり、資本主義に暇が組み込まれている。
しかし、突然暇を得た消費者は、余暇をどのように消費したら良いかわからない。そこに出現するのが、レジャー産業と広告。
消費者は、暇を何で消費したら良いのかを知らない。なので、広告がそれを創り出す。消費者の欲し物を提案する。
なるほどー。資本主義による労働生産性が上げるために”余暇、レジャー”が生まれるのって、アメリカの50年代が、一気にノーマンロックウェル的な豊かさが開花する、今のアメリカの消費社会に通じるのか、と納得しました。
贅沢って何?
必要を超えた支出に、ヒトは豊かを感じる。つまり、ヒトが豊かに生きるには贅沢が必要。
浪費と消費の差異。
浪費=必要を超えて物を受け取るコト。使いきれない。つまり贅沢で、満足もたらす。
消費=物を受け取るのでなく、観念を消費する。つまり、限界がない。
消費社会はモノが不足する社会。生産者の都合で供給量が制限されている。モノを記号化して、消費させ、モノを受け取らないので、満足がない。
暇と退屈
ここからが、この本のメインテーマになります。
ハイデッカーの”暇と退屈”を、暇がある・なし と 退屈がある・なし の4象限で、読み解かれています。
退屈の定義が面白いです。
暇がある×退屈する =第一形式の退屈
暇がない×退屈する =第二形式の退屈
と定義されてます。
第一は、暇な時間があるから、退屈する、これはわかりやすい。
第二って、少しわかりづらい。例えば、親しい友人と遊びに行く。ご飯食べたり、カフェで話したり、楽しい。でも、会話に少し飽きてくる。なんか会話に退屈する自分がいる。こんな感じだと理解しました。
殆どのヒトの生活って、この第二形式ではないか?
という論説です。
退屈と気晴らしが一体となった状態が、僕たちの状態かと、納得しました。
感想まとめ
この後も面白い論説が続きますので、興味ある方は、是非読んでみてください。
狩猟社会が、僕が思っていたよりも、モノに溢れて浪費ができた豊かな社会だったのは、考えさせられます。
農耕社会になって、余剰生産が生まれて、貨幣みたいな取引が起こり、商品経済が生まれる。その延長に、貨幣経済が生まれて、産業革命が起きて、資本経済が爆誕する。
その資本経済で暇が出来て、それを消費する、消費経済になり、浪費出来ずいつまで満足しない消費に皆が奔走する。
なんか、真理だなぁとおもいます。
見放題の動画プラットフォームで、タイパを追い、2倍速で映画観るとか、まさに消費だなぁ。
僕は、映画を消費したくないし、他のコンテンツも消費したくないです。
しっかり味わって、その時間に集中して、満足を得たい。
そんなコトを、この本からおもいました。
ここまで、長文読んでいただき、ありがとうございます。
共感いただけたら、またご来訪下さい。