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自分を責めるということ

今年の12月で独り暮らしを始めて丸10年が経った。生涯の伴侶を癌で亡くし10年の歳月が経った。

10年という年月から感じるものもさることながら独り取り残された直後の2年か3年の間ひたすら自分を責めていたことが1番思い出される。自分を責める。この行為は辛い。きつい。辛くきついことなのだからやめれば良い。でもやめられない。やらざるを得ない。やり続けざるを得ない。何かしら自分の過ちがあったがためにこの世で最も大切な人を失ったのではないか。助けられた命を自分のせいで亡くしたのではないか。答えのない自問にずっと苛まされていた。自分を責める。そうしたことで救いを求めていたのだろうか。人はあまりにも受け入れ難い悲しい出来事に納得いく理由を求め彷徨う、あちこち迷う。

結局自分の場合、責め続けて疲れきって諦めてしまった。自身を責めることに飽きてしまった、と言ってもいいのかも知れない。不謹慎な言い方だが。

大切な伴侶がこの世を去ってから3ヶ月後。あの東北の震災が起きた。テレビの報道で津波の映像を見ながら、ああ、この震災で目の前で犠牲となった家族や友人を救えなかったと罪悪感に苛まされて生涯自分を赦せず責め続ける人々が生まれるのだろう、と思った。ひたすらその人達の安寧を願った。心安らかとは何か苦労を重ねいろいろな過程を経てやっと辿り着いた究極の心境なのだろうか。

ときに自分を知るとはその限界を知るということかなと考える。人はスーパーマンにはなれはしない。何でも出来る訳ではない。出来たら良いが理想と現実の間の落差は歳を取るほど如実に明らかになっていく。思い知らされたそのギャップを目の当たりにしてそれでももがく。自分を責めるとはそういったある意味傲慢さから来るのだとすれば素直に自身の無能さを認めることが心安らかな心境に至る近道なのだろう。

10年の歳月。よくここまで来たなと思う。自分自身の力や努力でここまで来れたのではない。周りの近しい人々、大いなる意思といったもの(があるとして)がそっと導いてくださったのだ。そう思う。そう思うと涙が出てくる。

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