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初めて唄ったのは「恋の季節」
学校の授業で図画工作は苦手科目の一つだった。対して音楽は好きだった。
昭和40年生まれ。この世代はピアノを習わされるのがちょっとしたブームだったらしい。5歳の頃から近くの音楽教室に通わされた。同じ頃からピアノも習うことになる。結局ピアノの練習は嫌でイヤで小学校4年の転校を機にやめた。
それはともかく音楽が好きなのは歌うのも嫌いではなかったらしい。らしい、というのは成長とともにその年代いかんによって好きだったり嫌いだったりしたからだ。
両親によると3歳の頃家の中で独演会をしていたらしい。窓際のカーテンを舞台の幕に見立てカーテンを開いて両親の前で唄う。よく唄っていたのがピンキーとキラーズの「恋の季節」(古い!)だったそうだ。
そう言われると微かな記憶がよぎる。何か棒の様なものを持ってマイクに仕立てて唄っていた。父も母も笑顔だった。
誰の遺伝子だろうか。父にしても母にしても唄っているのを聞いたことがない。父は音楽音痴だと常日頃から言っていた。息子である自分のピアノの練習にかこつけベートーベンの喜びの歌を弾く練習をしていた時期もある。相当お気に入りの曲だったみたい。母に至っては鼻歌すら聞いたことがない。
そんな家庭内で唄った記憶はせいぜい幼稚園まで。自分でウォークマンを手に出来る年頃になった中学生以降は人嫌いだったのか内向的だったのか音楽は好きでも歌詞のない曲だけのものを好む様になっていた。その頃から映画を観るのが好きだったのでサウンドトラックを録音して聴くのが楽しみだった。
大学生のときサークルのコンパの2次会のカラオケで先輩から無理やり「与作」を唄わされなんとなく唄うことへの苦手意識から解放される。それがキッカケとなりカラオケも徐々に好きになっていった。
で、今に至るといったところだろうか。
それにしても今「恋の季節」の歌詞を見直してみても夜明けのコーヒーを一緒に飲むふたりを3歳児がどこまで理解していたのだろう。自分のことながらナゾである。