父の卒業
学歴と言えば自分は大学院修士を出ている。高校卒業とともに1年浪人生活を送ったので社会に出て就職したのは25歳になる春だった。つまりそれまでは親の脛をかじっていた。その歳まで思いっきり親の脛をかじりまくった。
今の社会では自分が学生だった頃とは違い国立公立でも学費が高い。学生はアルバイトなしでは生活していけずこの春の騒動で困窮した学生さんも多かっただろう。
父が30歳のときに自分は生まれた。62歳で会社を退職するまで40年ほどサラリーマン生活を父はしてきた。
自分の学生としての身分が終わり社会に出たとき父は55歳だったことになる。その後数年で会社を辞した。
あるとき父は自分に言ったことがある。「お前が大学に合格したときより小学校を卒業したときの方が嬉しかった。」と。さもありなん。物心ついたときから病弱で小学校1年の頃は町の病院に定期的に注射を打ちに通った。(何の注射かは覚えていない。)
2年の頃だろうか。隣町の病院に通院するため一日おきに父は会社を定時で終え車をすっ飛ばして家に帰り自分を乗せて病院に連れて行ってくれた。昭和40年代の経済成長真っ只中の時代である。いくら子供のため息子のためとはいえ職場での立場はどうだったのだろう。今思い返してみると感謝しかない。とはいえ当時はとにかく遊びたくて父が家に帰る時間に家に戻らず遊んでいて叱られたこともある。
そんなだったから普通の子供が当たり前だった小学校を卒業するということが親として奇跡だったとしても不思議ではない。そう言えば、小学校の卒業式に参列したのも母ではなく父だった。(クラスメートの大半は母親が参列していた。今の時代は知らないが両親2人ともが参列していなかったと思う。母親か父親かのどちらかが参列していた。)
思い返すと父にとってあの言葉はもうこれからは経済的にも精神的にも自立して行けよという自分へのメッセージではなかったかと思う。もう扶養する立場は終わった。これからは自分で歩け、と。
直接ではなく間接的な表現が父らしい。父に感謝。有り難うございます。
こう書いていて思い出した。高校か大学を卒業した日帰って来た父が英語の卒業するのgraduateは始めるという意味もあるからなと教えてくれた。卒業は次の新たな始まり。
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