宗教の事件 60 西尾幹二「現代について」
ドイツのこのような現実からオウム教団への破防法をめぐる日本の騒ぎを眺めてみると、外国から日本を眺めるほとんどすべての光景に認められる言いようもない長閑さ、けだるさ、ばかさ加減さ、一口でいえば喜劇性が浮き立つように見えてくるであろう。破防法そのものがすでにテロ多発時代に時代遅れの甘さと不用意さを露呈させているとわかる。それなのに、日本の憲法学者や弁護士たちはこれはあぶない法律だ、民主主義の敵だと騒ぎ立てた。世界の現実からずり落ちた彼らの幻想性もさることながら、知らぬ間にそれに乗せられ、公安調査庁に加担した後ろめたさに少しおびえた国民全部が、まるでオウムに悪いことでもするような気おくれを感じつつ、破防法適用の推移をおっかなびっくりに見つめているという現下の情勢は何という無知、何という愚直、何という頓馬、そして何という脳天気ぶりであろう!憲法学者や弁護士たちも悪質ではあるが、彼らには底意がある。政治的な狙いもあろうし、弁護の手柄を立てたいという見え透いた動機もある。問題の第一は彼らの背後が見えないマスコミと、破防法適用に「確信」を失っている一般国民の、民主主義的秩序を守るためには最小限何をしなければならないかという市民常識の欠落であるといっていい。
戦後のドイツはワイマル体制への反省から出発した。第一次世界大戦後ドイツ人は権力の弱体化が民主主義であると誤解し、民主主義秩序の破壊を目的とするような結社に対してもきわめて寛容で、けじめがなく、やがて権力の分散と空洞化を招き、ナチスの台頭を許した。自由な社会は自由の破壊を目的とする政治勢力の自由をどこまで許し得るか、これは矛盾を孕んだ、困難な問いである。そして、戦後50年の今の自由過剰の日本を襲っている新たな問いでもある。自由社会の自由を徹底的に利用したオウムの出現は、この意味で日本が曲り角にあることを象徴的に表現した。
日本は先の大戦でドイツの第一次対戦とほぼ同一の経験をしたといえるかもしれない。戦後日本は西ドイツの苛酷な戦後とはほど遠い甘い世界しか知らないですませた。ワイマル期のドイツと同じ段階にある、という言い方もあながち不自然ではないであろう。冷戦が崩壊してアメリカから纜(ともづな)を解かれ、いまますますそういう状況に近づいているのかもしれない。ワイマル期の14年間、ドイツは5ないし6の政党の連立を繰り返し、政党間の政策のすり合わせに時間を要するために、首相の権限は弱く、政治的空白が生じた。その非能率に国民は愛想をつかし、独裁者の出現を求めた。今の日本はほぼ同じ状況にあるといえよう。
なぜ戦後のドイツは、日本からみれば乱暴とも非民主主義ともとれる手続き大幅省略の簡潔さで、破壊主義的団体をいち早くその萌芽の段階で抑えこもうとするのであろうか。「戦う民主主義」といわれる戦後ドイツの民主主義は、ナチ台頭を許した前轍を踏まないために、自由の破壊を目的とする勢力の自由にいち早く箍を嵌め、危険に暴走する自由の芽を摘み取ることに国民的合意が得られているからである。日本のように自由という原則に弱い国では考えられない。なぜ法治国家において大量の化学物質を毒ガス製造可能の大規模プラントの設営をまでうかうかと許してしまったのか。なぜ面妖な殺人事件が起こるまで、あれほどまでのことをする自由が黙過されてきたのか。これはドイツだけではなく、世界中どの国もが理解しえなかった問題点である。テロリストは世界中どの国にもいるが、「国家内国家」を作られるまで国家がその自由を放置し、しかも今なお他国に例のない面倒な弁明手続きでテロリストの人権がちょっとでも脅かされるとマスコミがあげて民主主義の危機と騒ぎ立てる脳天気ぶりは、世界における例外中の例外現象というしかない。反国家的自由だけを唯一の自由の内容とみて、国家主義的テロリストをさえ反国家的自由の旗手に仕立てたがる倒錯ぶりに、いまこの国のマスコミと一般市民の陥っている自由という原則に弱い無差別体質が表れている。無差別に自由なら何でもありがたい、形式上一寸でも自由を脅かすものは許せない……それはもはや自由ではない。無制限な自由は自由ではない。
ワイマル期のドイツと同じように、今の日本人は民主主義を誤解している。民主主義的秩序は形式民主主義を一時的に犠牲にするような危険をたとえ犯してでも守らなければならないという覚悟。そういう矛盾面をもっているのだという認識が、日本ではすっぽり欠け落ちている。
(つづく)
西尾幹二 「現代について」