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偶像崇拝をする者は(眼耳口手足)偶像と同じになる
偶像という語には「人形」「人間に似せた物」などいくつかの意味があるが、ここでは木材や土、金属など具体的な物質で形どられた像のうち崇拝的対象をかたどったものをさす。また「偶像崇拝」という単語自体は、そうした像を崇めることを禁じ、あるいは批判する立場から否定的な意味合いで使われることが多い(後述。同様に偶像崇拝を非難するために使われる単語として「偶像教」がある。他方、何らかの像を崇拝する信仰では、一般に崇拝の対象となる像を神像や仏像などと表現しており、また二元論や多神教なども世の知恵に過ぎず偶像崇拝である。偶「像」と書かれるが、プロテスタントなどにおいては十字架への祈りも偶像崇拝とされ、首飾り、護符、ご神体などを信仰対象にすることも偶像崇拝である。
偶像と言われてもピンとこない方は多いと思います。偶像は身近に私たちの生活に溶け込んでいます。例えば、お正月の初詣、お宮参り、結婚式、地鎮祭、神棚、神社のお祭り、お盆の棚経、法事、葬式、お墓参り、仏壇を拝む‥‥
眼で見える対象物を偶像。それを拝む行為は偶像礼拝。
何かに縋りたい人間の弱さに漬け込んだ偽善者達に、眼で見える物を信じるよう教え込まれた信仰は偽物です。子供が人形を抱いて寝るのと同じ。それがないと寝れないとか寂しいとか。精神的に落ち着く等。
これでは、子供のままです。身体は大人で精神は子供のままなんて格好悪いと思いませんか?本当の大人は、眼で見えない物でも信じられる強い心と精神です。悪魔に自分の心を奪われてはいけません。
そうゆう悪魔に心を奪われた人がたくさんいます。そしてその人は死後も裁かれ、地位も名誉もなくただの変態となりました。生きてる間だけでなく、死後もついて回るんでる。永遠に。。
ラプトブログより
京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
お稚児さまは、まさに生贄となる幼子の事です。そして今、ジャニー喜多川の死後その性癖が明らかにされ裁かれています。
メディアや政界が隠してきた実態がようやくあらわにされる。
ジャニー喜多川がしてきた行為は決して許されるものではありません。たとえ莫大なお金を慰謝料として被害者に渡したとしても心の傷は決して消えないのです。
今後、このような事が起こらないようにするにはなぜこんな性癖が生まれたのかを知ることです。
私たちの生活に密接しているんです。決してこのままにしてはいけません。
真言宗・密教・政治家、皇族、天皇、権力と金と欲に支配された悪の人間の根源を滅ぼす事が一番の救済だと思います。
父親・喜多川諦道は、8歳で出家。
大谷貴義(享年85)大谷家と喜多川家は親戚。
大谷貴義とは、戦後最大のフィクサーとも称される和歌山県出身の実業家。
宝石卸を本業として「日本の宝石王」と呼ばれる一方、政財官界やアンダーグラウンドの世界に隠然たる力をもち、児玉誉士夫らと並ぶ「戦後最大級のフィクサー」と称された。特に、元首相の福田赳夫とのつながりが強く、「福田の影に大谷あり」と言われた。公の場にはあまり姿を現さず、代々木上原に1000坪の豪邸を構え、十数人の使用人に囲まれて過ごしたため、謎のフィクサーとも呼ばれた。肩書きは、「裏千家最高顧問」「そごう最高顧問」「松下電器産業特別客員」「産経新聞社顧問」「毎日新聞社筆頭社友」「大阪産業大学名誉総長」
喜多川諦道は1896年、大分県に生まれる。出家したのちは和歌山県高野山の導師となり、1924年、27歳のときに、真言密教の布教のために世界一周をめざして出国。(全て大谷家からの援助)帰国するまでの9年間滞在したロサンゼルスで、高野山真言宗米国別院の第3代主監を務め、メリー&ジャニーとそのあいだの長男、真一という3人の子どもを授かる。
真言宗と天台宗は、古く平安時代のころから、こうして稚児を受け容れる環境をもっていた。
《真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林(禅宗寺院)においても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。》
“上稚児”というのは行儀見習いなどのために寺にきている皇族や上位貴族の子弟、“喝食”とは禅宗での呼び名であって、一般には“下稚児”のことであり、芸道などの才能が見込まれて雇われたり、または不良僧侶に売られてきた子どもたちのことをいう。さらに、これら“上稚児”と“下稚児”のあいだに、頭の良さを見込まれて世話係として僧侶に従う“中稚児”があった。
喜多川諦道は8歳にして、“少年修行僧”を受け容れる余裕のある真言宗の大きな寺にあずけられた。 高野山普賢院住職は、政財界に懇意で、僧侶の喜多川諦道を可愛いがったのが大隈重信(早稲田大学創設者)。
ロサンゼルス時代は、にぎやかなこと、お祭りが好きな主監さま、と慕われ、ボーイスカウト第379隊を結成する。芸道の才能が見込まれた?
和歌山県高野山の導師になってからは、自らを“やくざ”とか“遊び人”と称しての放蕩三昧だった。父親の教えが息子のジャニー喜多川に受け継がれたと言えなくはない。
ジャニー喜多川は、朝鮮戦争時代に韓国の戦災孤児たちに英語を教える任務に就いていた。除隊後にも渋谷にあったワシントンハイツ内で子どもたちに野球を教えていた。
喜多川家がロサンゼルスから1933年8月26日に帰国し、大阪で暮らし1942年になって子どもたち3人が和歌山県東牟婁郡勝浦町に疎開したのも、大谷家が便宜を図ってのことで、疎開先の「中ノ島」の南紀勝浦温泉は大谷家の所有地。メリー15歳、ジャニー11歳のころ、大谷貴義は37歳。
1人大阪に残った諦道が、これ以降、大谷家とはもちろん、子どもたちと交流せず、仏教からも離れた。
大阪道頓堀にある高野山真言宗の寺、法案寺の住職の世話で、橋本三郎という人物のもとで働いた。橋本三郎は、大阪の繊維商社、つまり船場の大店「田村駒」系企業の工場長。工場は奈良県南葛城郡御所町(現、御所市)。
戦中「田村駒」社長の田村駒治郎から野球の球団をあずかっていた橋本三郎は、戦後になってそのオーナーの座に。「ゴールドスター」のちの大映スターズ→大映ユニオンズ→毎日大映オリオンズ→千葉ロッテマリーンズ。諦道は「ゴールドスター」「大映スターズ」でマネージャーを務めている。1946年から1949年(53歳)
1960年頃、諦道は橋本三郎から替わった「大映スターズ」オーナーの親族が経営する心斎橋の煎餅屋「杵萬」に居候。1974年逝去。高野山普賢院にて、諦道は弟子入りをしておりその関係で、普賢院で葬儀をした。
父・諦道の葬儀には、メリーもジャニーも訪れなかったといいます。ここまで強く父親を拒絶するのは、大谷家と仏教と母の死に関わりがあるか?
メリー&ジャニー姉弟の母であり、諦道の妻である江以(えい)、ロサンゼルス帰国後1934年5月24日、京都で没。
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ジャニーズ百科事典より
ジャニー喜多川の本名は、ジョン・ヒロム・キタガワといい、日本語で表記すると喜多川擴。
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高校卒業後、日本で短期大学にあたる2年制のコミュニティカレッジに進学し、故美空ひばりのロス公演の際、会場がジャニー喜多川の父親の職場である「真宗大谷派東本願寺寺ロサンゼルス別院」だったため、ステージマネージメント全体を担当。ステージのマネージメントを担当したことがきっかけで日本の芸能界に進出。
美空ひばりといえば神戸芸能社。親子で田岡一雄とも親密だったようだ。
日本に帰国後、自宅近くの近所に住む少年を集めた野球チームを結成して「ジャニーズ」と名付け、チームのメンバーを日映画館へ連れてみた映画「ウェストサイドストーリー」に感動し、お稚児こと幼児たちを集めエンターテインメント事業を興そうと決意。1962年にジャニーズ事務所を創業した。
そして、皇族関係者の手ほどきも受けて、ジャニー喜多川は芸能プロダクションをしていたのです。自分の欲を満たす為?金儲けの為?
モーニング娘を育てたつんくは、面接の時前髪を上げておでこを見せてと言い、すぐに見せる子を採用したという。顔や歌唱力ではななく素直で従順な子が欲しかった。
喜多川諦道は27歳の時、大隈重信・大谷家よりロサンゼルス行きを援助され大谷家の外子ジャニー喜多川ら子供たちの教育係であったのでは?
であれば、実父ではない葬儀に出なかったと言うのも納得できる。
長男、真一は、朝鮮戦争後の徴兵で休学していたUCLAを卒業し、宇宙船関連の航空機メーカー「ノースアメリカン・ロックウェル・コーポレーション」のエンジニアとなった。 ロサンゼルスのガーデナに住みながらノース社でNASA関連の仕事をし、アポロの設計にも携わったが、1985年、くも膜下出血で倒れる。1986年1月9日に55歳で逝去。
芸能界は悪魔崇拝であり、変態と性への欲望、金、の塊です。TVやラジオ新聞、雑誌も正しい事は伝えられていません。今後、悪な者は全て裁かれる事になります。
ジャニー喜多川、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血。長男真一と 同じ病名。自宅で倒れて以降、意識が戻らぬ状態が続いていたが、2019年7月9日 16時47分に逝去。 87歳没
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そういえば、大谷 翔平は、岩手県水沢市出身のプロ野球選手。右投左打。MLBのロサンゼルス・エンゼルス所属。この人の人並外れた活躍も何かつながりがあるとおもいませんか?
大谷・ロサンゼルス。赤。。
ラプトブログより
仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。
盆踊りの正体↓
遠藤元市長は2024年の徳島市長選挙に立候補を表明?!負債4億円私たち市民に押しつけて逃げた事忘れていません。この人も裁かれる事となるでしょう。
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神社仏閣は必要なものではありません、わたしたち(農民に年貢を)市民に納税をかけさせるため、心の拠り所を与えるために日本政府が作った物です。そして、神仏は落ちぶれた皇族たちなのです。税金を免除し生活を援助する仕組みは今も戦国時代も同じなのです。理不尽な税金や電気代を課せられ、給料は、全く上がらず、外国に金をばら撒く政府にいつまで期待しているのか??
正しい知識と知能を持ち習慣・風習を打破するべき時です。
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・ラプトブログより
日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです
・RAPT×読者対談【第84弾】
自己啓発もスピリチュアル系も悪魔崇拝
・RAPT×読者対談〈第86弾〉人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?
・ラプトブログより
本当の自由とは。本当の幸福とは。悪魔の作った偽物の宗教に騙されないために幾つか知っておくべきこと。
江戸時代は、位牌だけを管理していればよかったので、遺体とか遺骨とかに重きを置いておらず、ましてや庶民には現代のような「家」制度もなく自分の直近の見知った人の位牌だけあればよかった。それでお祭りする人がいなければ絶えてしまうわけで、それで結構という価値観だったのです。
昔は位牌だけをちゃんと拝んでいればよかったのに、そのうちにお仏壇も見なきゃいけない、その後にお仏壇と位牌がセットになり、さらに骨も見なきゃいけないと、管理すべきものが増えていったのです。
骨をちゃんとしなさいという話が出てくるのは新興宗教の論理。日本で新興宗教をやる場合は必ず先祖供養がある。それの一環として骨もちゃんと面倒を見る。。。そもそも骨に対する信仰っていうのは明治以降になってからです。
江戸時代は、今よりも骨の扱いがすごく雑でした。骨に対する信仰みたいなものというのは当時はあまりなく、基本的に、埋め墓と祭り墓というものがあり、この埋め墓といってもほとんど塚みたいなものでした。
そもそも、肉体からは魂が抜けてしまっているわけで骨には価値がない。じゃあ、その魂はどこにいっているかっていうと祭り墓だったり位牌だったりする?!本当か?
昔は仏教思想が強かったので、身体というのはあくまでも抜け殻だと考えられていた。魂うんぬんは仏教ではなく三魂七魄といって儒教の思想。江戸時代だと仏教と儒教のごちゃ混ぜ思想が強かったので、結果的に身体というのはあくまでも抜け殻だと考えられていた。
明治以降になって日清・日露戦争の影響もあり遺骨を大事にという流れも出てきた。さらに、これが昭和の新興宗教の最盛期とともに頂点となる。
現在でも、遺骨に対する気持ちの畏れはすごくある。ペットのお葬式もあるくらい遺骨というのは大切にされている。。
現代において遺骨がいちばん簡単な「よすが」心のよりどころになってきている。昔はその役割を位牌が果たしていたわけだが。。。
昨今では、永代供養というのもあるが、戒名も墓もなくても骨は供養墓に入れられ10年経てば合同供養の中に骨は混ぜられるそうだ。ただし、費用は葬儀・戒名・法要全てした場合と同じ位の費用を請求されるという。ぼったくりもいいところである。
遺骨というのは法的には産業廃棄物扱いになる。関西以西なんかは、火葬した後に持って帰るのは喉仏と頭蓋骨のテッペンの硬い部分だけというところが多く、後は産廃として処理するので、そういう地方の葬儀で使う骨壺というのは本当に小さい。
なぜ?喉仏と頭蓋骨のてっぺんなのだろう?
頭蓋骨のてっぺんに百会のツボがありその周りに四神がいると言う。
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四神の起源は古代中国の天文思想で、二十八宿から始まり、さらに七宿ずつに分けた星座が龍・虎・鳳凰・亀の4つの動物の姿に見えたといいます。そこに五行説の五行と方位、色が結びつけられ、中央を守護するものとして黄龍または麒麟を加わり五神(五霊)になった。
麒麟:土=中央=黄
青龍:木=東=青
白虎:金=西=白
朱雀:火=南=赤
玄武:水=北=黒
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喉仏は本来、甲状軟骨のことで焼くと無くなってしまう。
何故だか軸椎(第2頚椎)を喉仏としている。
環椎(第1頸椎)の下にある椎骨.環椎の椎体となる部分が第2頸椎の椎体と癒合した歯突起が特徴で、椎体の上に突出して環椎との重要な連結部となる.
軸椎の歯突起を中心に環椎とその上に乗る頭蓋骨が一体となって回旋する.
形が座禅を組んでいる仏様(お釈迦様)に似ており、その形から「体に宿る仏様」と言う話もあるがただの骨でしかない。何の意味もない。
ギリシャの神Atlasが地球を支える姿を環椎が頭部を支える構造になぞらえてAtlasの名称がある.
浄土真宗ではこれを分骨しておさめるらしい。
この部分はかなり重要な場所なのだと言う事だ。中国の神とギリシャ神を偶像礼拝させるため?!
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これが、関東の都市部となると、持って帰る骨が多い風習の所が多く、骨壺が大きくなり、火葬場の方であまり処理してくれない。
本来、仏教的な価値観からすれば、仏教が生まれたインドでは死体ごとガンジス川に投げている。
日本でも平安時代あたりから仏教思想が一般化、京都の鳥辺野・化野・蓮台野などに死体を捨てていた。
当時の朝廷は、喪葬令で「死体を道に捨てるな」という御触れを出さなければいけないほどでした。京都の朱雀大路の溝が詰まるくらいに死体が捨てられていたりとか、飢饉のときなんかは鴨川が死体でいっぱいになるなんてことはザラにあった。それくらい日本も遺体に対しての畏敬の念はなく、かなり雑に扱っていた。
鎌倉幕府も室町幕府も初期の頃の江戸幕府も死体を捨てるなという御触れを出している。
・先祖供養に「遺骨は必要ない」という衝撃事実より
インド仏教に、「戒名」というようなものはなく、タイや、スリランカ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、中国、韓国などにおいても、戒名の風習はない。
戒名は日本仏教界の発明。 戒名はもともとは無料で、景教徒が昔、洗礼を授けた人々に、無料で洗礼名を授けていた。 仏教徒はどうもこの習慣を仏教に取り入れたようです。
そしてはじめ仏教徒は、戒名を、仏弟子となって受戒をすませた人たちだけに無料で与えていた。
ところが、のちに日本仏教がいわゆる「葬式仏教」となり、戒名は、死んだ者のために遺族が高い金額を払って手に入れるものになってしまった。
葬儀もなく、戒名は僧侶が受けるもので、庶民には無縁であったのが、金で戒名と葬儀を請け負うようになった僧侶はさぞ懐が大きくなった事だろう。
はっきり言って、必要ない。
人間は神様を信じて、生きている間に魂を清くし天国に入れるパスポートをもらえるよう、天に富を積むことだけを考えていればいい。(詳しくはラプトブログをお読みください。)
https://rapt-neo.com
肉体は抜け殻で拝む意味はない。盛大な葬儀、戒名をつけ法事をした所で、成仏できたと、それを証明する人はいない。無駄なお金を使う事はない。
八十八ケ所巡りに行けば極楽浄土に行けると思っているあなた!そんな事で行けるはず無いと洗脳されてない人はそう思うのですが、お金を積み何回も何回もいく人が後を立たない。なんと情けない事だろう。お金では天に富はつめないのです。
そして、寺は儲かって笑いが止まらない。仏像も金儲けの為に貸し出ししているんですからね。
僧侶が説法で宇宙の話をします。
しかし、それも嘘です。利権を持つ者とが辻褄を合わせるために嘘に嘘をつき続けなくてはいけなくなり今や矛盾だらけです。
喜多川の長男、真一はNASAに携わりアポロ設計にも関係していた。因果関係を疑えます。
悪なる者を見分け、真理を見つけられる眼と耳と知能を持つには
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正しい記事を知るには
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あなたたちは聞くには聞くが、
決して理解せず、
見るには見るが、
決して認めない。
この民の心は鈍り、
耳は遠くなり、
目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、
耳で聞くことなく、
心で理解せず、
立ち帰らない。
わたしは彼らをいやさない。
どうか一人でも多くの人が救われ、神様と繋がれますように心から願います。