見出し画像

わたしの躁うつ日記15〜米軍基地に入院したよ

少し落ち着いてくるとJっ子と会えるようになった。旦那(ここからはニックネームの鯰軍曹と呼ぶ)の話は耳に入らないがJっ子の可愛らしいおしゃべりは毎日の楽しみになった。コーヒー用のクリームやクラッカーが好きなのでJっ子のためにとっておいた。ベースの病院食はたいがいの日本人にとっては不味い。Jっ子を産んだあとには翌日の早朝から鶏の丸焼きみたいのを出され、無理…と思った。日本の産院ではお祝膳として鯛が出る、と聞いてうらやましく思った。米が食べたい。白いコメがよー…と思ったがガサガサのパンしかでない。野菜はフライドポテトだけで、あとはプリンとかデザートは豊富。当時甘いものはあまり食べなかったのでJっ子のために取っておく。

日本人の友達がベースに入るにはエスコートが必要なため、なかなか来られなかった。その代わり、ベース内に住む虹子さんが頻繁に訪れてくれた。コンビニのおにぎり、しかもツナマヨを差し入れしてくれた時には後光が差していた。「調子に乗って色々調べすぎちゃったかなぁ」と気にしているので、「いずれにしろ真実を知らなきゃ身動き取れないからね」と答える。「それに面白かったよね」というと虹子さんが吹き出した。探偵ごっこは思いのほか楽しかった。対象が自分の旦那でさえなければ。

私が薬物治療に非協力的なのでハンプティコンビは不機嫌だ。何としてでも薬を盛りたがるので、私は「カウンセラーとかいないものかね?」と尋ねる。ハンプティらは「いなくはないけどさー、キミ英語で相談できるの?」とバカにしてきた。するといつかのナードな看護師が「いまU子さんという日本人のインターンがいますよ。それに彼女の英語はそんなに悪くない」と助け舟を出してくれた。あんなに一晩中日本語攻めにしたのに、なんていい奴なんだ!

そんなわけでハンプティたちがシブシブとカウンセラーを紹介してくれた。カウンセリング室は病院の端っこにあり、渡り廊下を渡った先の掘立て小屋のような所だった。ノックをしてドアを開けるとそこにはユダヤ系(コースターのような帽子を頭に載せていた)らしき男性と賢そうな日本女性がいた。部屋一面に子供が描いた絵が貼ってあり、遊べるスペースもあった。冷凍庫みたいに殺風景なハンプティたちの診察室とは違い、冬の陽だまりのようだった。

#双極性障害
#躁うつ病
#米軍基地
#カウンセリング

いいなと思ったら応援しよう!