私の躁うつ日記16〜Dr.メッサー
「ようこそ、お入りなさい」と招き入れられた部屋は、冬なのに温かく明るかった。Dr.もU子さんもニコニコして私を見ている。「つらい思いをしたようだね。良ければ話してくれないか」とうながされ、私はこれまでの顛末を語った。話しているうちに涙がポロポロでてティッシュの箱が手放せなくなった。夫も、実家の家族も、こんなふうに話を聞いてくれたことはなかった。だから理解も共感もなかった。
「それだけのことが立て続けに起これば鬱になるのも当然だ。むしろ君がまともな人間だってことだよ」と言われ、自己肯定感ゼロむしろマイだった私は少し甦った。酷い自殺念慮にずっと追い回されていたけれど、自分にも生きる価値がある、と少しだけ思えた。
一面に貼られた絵はDr.メッサーの3人の子供たちが描いたものだった。オモチャもたくさんあったから「退院したら子供達も連れておいでよ。ウチの子と遊ばせよう」と言われた。ありがたい話だ。
何回か通ううちに私はメキメキと「まとも」を取り戻した。込み入った話になるとU子さんが解説してくれるのも助かった。あのロールハッシャテストなるものも受けたが、色んなものがカニに見える以外は異常なしだった。サイコパス気味な人などはもっととんでもない答えをするらしい。
私が順調に回復したのでハンプティダンプティーと牧場主は面白く無さそうだった。が、元気な私をいつまでも縛り付けておくわけにはいかない。退院の日が決まり、Dr.メッサーのカウンセリングだけ通院することとなった。
家に帰ると軍曹が子育てに疲れていた。少しはこっちの気持ちもわかったかと思ったら、第一声が「クラブ行っていい?」だった。こっちだってクラブ行きてーよ。オマエの480倍ぐらい行きてーわ!と思ったが「もうダメだ、この人は」とあきらめがついた。
ザリガニの予定日前後だけいればいい。気持ちの通じない相手とは一緒にいるだけ寂しい。
それにしてもザリガニは予定日を2週間過ぎても腹でのんびりしていた。Jっ子は1週間早かったので、こんな調子で大丈夫なのか?と思っていたらキリキリと陣痛が来た。軍曹を叩き起こして病院に行く準備をしていると痛みが遠のく。陣痛の間隔がせばまると出産が近いのであわてないといけないがなんだかモゾモゾする気配だけで全然痛くない。気が変わったのだろうか。
のんびりザリガニの動きを待つうちにウトウト寝てしまった。そして朝一でキョーレツな陣痛が来た。