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遊び心で生きる

今日のおすすめの一冊は、安岡定子氏の『実践・論語塾』(ポプラ社)です。その中から「芸に遊ぶ」という題でブログを書きました。

本書の中に「遊び心で生きる」という心に響く文章がありました。


《之(これ)を知る者は、之を好む者に如(し)かず。 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。》 

あることを知っているだけの人は、それを好きになった人には及ばない。 それを好きになった人も、それを楽しむ人には及ばない。 

知って、好きになって、楽しむ。 物事を極めていくときの三段階、と私はお子さんたちに解説しています。 初めから知っている人、あるいはできる人はいません。 習って、練習して、学んで、考えて、自分でやってみて習得していきます。 

皆さんはすでに体験済みだと思います。 これは学校の教科やスポーツやお稽古事だけに当てはまるわけではありません。 仕事においても同じことが言えます。 知って、好きになる、を何度も繰り返して、物事を深めていくのでしょう。 しかし、ここから先の楽しむ境地までは果てしない道のりのように感じます。 

気がつけば心遊ばせ、楽しんでいる、という心境には、どうしたらなれるのでしょう。 孔子ほどの人物でも、学問を楽しむとは言っていません。 私はただの学問好きだ、という表現に止まっています。 

この言葉の「之」の部分に、学問やスポーツ、お稽古事、あるいは仕事を当てはめて考えてきましたが、人生そのものに置き換えてもいいかもしれません。 人生とは何かを知る、生きることが好きになる、生きることを心の底から楽しむ。 こんな三段階を実感できたらなんと素敵でしょう。 

簡単にはできないことですが、こんなふうに考えることで、結局、学びも仕事も充実していくに違いありません。 生きることを楽しめるのは、富とか名誉を得られるからではありません。 志を持って、自分らしく、真剣に生きられるかどうかが肝心です。 長い道のりの先に楽しめる心境が待っているのでしょう。 

楽しむとは、愉しむであり、その世界で遊ぶことができること。 「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という「無門関」に出てくる言葉があるが、我を忘れて、無心に遊んでみるということ。 

仕事も、趣味も、俗世間も、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることができれば、人生、これほど愉しいことはない。 

山田無文老師は「遊戯三昧」の境地をこう言っている。 「働くことがそのまま遊びなんです。 人のためにすることがそのまま遊びなんです。 苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」 

まさに、今東光和尚の言葉、「人生は冥途(めいど)までの暇つぶし」だ。 「知って、好きになって、楽しむ」 人生を、心の底から楽しむことができたら幸せだ。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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