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読書によって自らを練り上げる
今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな人生論2』(致知出版社)です。その中から、「自ら彊(つと)めて息(や)まず」という題でブログを書きました。
本書の中に「読書によって自らを練り上げる」という心に響く文章がありました。
西郷隆盛が二度目の島流しで、沖永良部島に流された時、西郷は三個の行李(こうり)を持っていった。 その中には八百冊の本が入っていたという。 わずか二、三畳の吹きさらしの獄の中で、西郷はひたすら『言志四録』や『伝習録』などを読み、心魂(しんこん)を練った。
吉田松陰も同様である。 松陰は萩の野山獄(のやまごく)に送られた時、在獄一年二か月ほどの間に六百十八冊も本を読み、杉家に移され幽閉された後も、安政三年に五百五冊、翌四年には九月までに三百四十六冊の聖賢の書を読破している。 すさまじいまでの読書である。
彼らは、知識を増やすために本を読んだのではない。 心を鍛え、人物を練り上げるために読書したのである。 真剣な読書に沈潜(ちんせん)することがいかに人間に大きな力をもたらすかを、先哲の生き方が例証している。
哲学者の森信三氏は、 「読書は心の食物。肉体を養うために毎日の食事が欠かせないように、心を豊かに養う滋養分として読書は欠かせない」と常々言っていた。
碩学(せきがく)・安岡正篤氏は「人物」を磨くための条件として、次の二つを挙げている。
一、すぐれた人物に私淑(ししゅく)すること。
二、魂のこもったすぐれた書物を読むこと。
いま、子どものみならず大人も本を読まなくなった、と言われている。 しかし、読書力の低下はそのまま人間力の低下につながり、国の衰退になりかねないことを私たちは肝に銘じ、その復興に努めなければならない。
「七歳の児童たちの読書量が、将来の世界における英国の位置そのものである」 イギリスのブレア首相の言と聞く。 卓見である。
◆伊與田覺(いよたさとる)氏は『人生を導く先哲の言葉/致知出版社』の中でこう述べている。
「君子は、必ず其(そ)の獨(ひとり)を慎(つつし)むなり」
立派な人物というものは自分独りでいる時、つまり他人が見ていない時でも己をしっかりと律していくという意味です。
『大学』ではこの「慎獨(しんどく)」を非常に重視し、人物になるための一番の基本としています。例えば定年を迎えれば、それまで自分を束縛していたものから解放され、毎日が日曜日となります。しかし、そこで「慎獨」に努め、自分をさらに練り上げていこうという人はよほどの人物といえるでしょう。
皆で声を合わせて読む「素読」のような読み方もあるが、本質的には、読書こそ独りでするものだ。まさに孤独の時間といえる。その独りでいる時間をどう過ごすか、でその人が、人物であるかどうかが決まる。
読書によって自らを練り上げたい。
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