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深いどっしりとした魅力とは

今日のおすすめの一冊は、安岡正篤師の『安岡正篤 人生手帖 古教に心を洗う』(致知出版社)です。その中から「素行自得(そこうじとく)」という題でブログを書きました。

本書の中に「深いどっしりとした魅力とは」という心に響く文章がありました。

深沈厚重(しんちんこうじゅう)は是(こ)れ第一等の資質 
磊落豪雄(らいらくごうゆう)は是れ第二等の資質 
聡明才弁(そうめいさいべん)是れ第三等の資質 

呂新吾(りょしんご)『呻吟語(しんぎんご)』 

大抵(たいてい)はこの順序を逆に考えて、聡明才弁が一番偉くて、 深沈厚重をまるで鈍物(どんぶつ)のように思う。 が、それは世俗(せぞく)のことでありまして、 本当はここに言われておる通りであります。 

聡明才弁の人はとかく鋭角的になり過ぎる。 従って自己を磊落豪雄につくるように 修養しなければならないのですけれども、 そうするとどうも人間は気負う。 だからやっぱり深沈厚重の徳を養うことを第一にしなければならない。 

深沈厚重の徳を養うて始めて本当の磊落豪雄にもなるわけで、 そうでないと似(え)せ豪傑のようになってしまいます。 『活学 第三編」

◆第一等の人物は、「深沈厚重」どっしりと落ち着いて深みのある人物。細事にこだわらない豪放な人物は第二等。頭が切れて弁の立つ人物は第三等である。

深い味のある人とは、酸いも甘いも嚙み分けることができる人。つまり、人生経験を積み、世間の事情や人情の機微にもよく通じている人のこと。

また、安岡正篤師は「茶は三煎して味わう」という。第一煎は、芽茶(めちゃ)。 最初はややぬるめの湯をかけて、 芽茶のもつ甘さを味わう。 この甘いという味は、味の初歩的なもので、 幼児にも未開人にもよくわかる。 だから、人間も未熟なうちは 「あいつはまだ甘い」ということになる。

 次の第二煎は、 少し熱くした湯でタンニンのもつ渋さを味わう。 この渋いという味は甘さよりは一歩進んでおり、 人間も中年近くなってやっと、「渋い魅力がでてきた」といわれるようになる。 

第三煎は熱湯を注いで、 カフェインのもつほろ苦さを味わう。 この苦いという味は、人生も五十をすぎないと、 ちょっとわかってこない。 蕗(ふき)のトウで酒を楽しむ年代である。(帝王学ノート/PHP文庫)より

この第三煎の「苦さ」が深さに通じる。甘いのは、まだまだ若者の味だ。次に渋さが出てくると大人の魅力も出てくる。しかし、それだけでは深さにはつながらない。やはり、「苦さ」もあわせもつのが深い魅力となる。

ペラペラした魅力ではなく、どっしりと落ち着いた、深くて重くて、厚みのある魅力を目指したい。

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