孔子は世界四大聖人の一人
今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな人生論 2』(致知出版社)です。その中から「自分がやられて嫌なことは人にしてはならない」という題でブログを書きました。
ネット上を見ると、「自分のされて嫌なことは相手にしない、という教えに反対です」という書き込みがいくつか見られます。そのおおよその論旨は、「自分のされて嫌なことが相手にとって嫌とは限らないから」とか「むしろ、自分のされて嫌なことじゃないことは、実は相手にとってはものすごく嫌なことかもしれないから」というものです。
これはブログにも書きましたが、「自分がされても嫌じゃないことでも、相手にしてはいけないことはある」、ということは大前提としてあります。この「恕」には、「人が嫌がるようなことはしてはいけない」、という基本的な思いやりの心や考え方が根本にあります。だから、積極的に「自分が嫌でなければ相手にもしてはいい」と言っているわけではない、ということです。
人には様々な価値観があり、自分がいいと思っても、相手が嫌なことは数多くあります。しかし、その逆に、自分がされて嫌なことは相手も嫌なことがほとんどです。だから孔子は「恕」と言っているのです。もちろん、自分がされて嫌なことでも、嫌じゃない人もいるとは思いますが、それはあくまでもごく少数の例外です。もしかしたら、その「嫌じゃない」という考え方が歪(ゆが)んでいるということも考えられます。
たとえば、学生時代からずっと運動部の上下関係という価値観で育ってきた人が、フレンドリーで上下関係もフラットな関係に会社に入ったとしたら、なんてダラダラしている組織なんだ、と違和感やそのうち怒りまで感じるかもしれません。だから、「自分がされて嫌じゃない」、ということは万人に向く価値観ではないということです。でも、その反対の「自分がされて嫌なこと」はたいてい誰でも嫌なものです。
この「恕」という箴言は、あの世界四大聖人の一人である孔子が2500年前に言った言葉です。何かを発信する前に、まずは、その言動や箴言を「すごいエライ人が言ったんだ」と素直にうけとめ、そして咀嚼してからの方がいいのでは、と思うことしきりです。
ちなみに世界四大聖人とは、孔子、釈迦、イエス・キリストそして、マホメットですが、マホメットのかわりにソクラテスを入れるという説もあります。
今日のブログはこちらから☟
https://ameblo.jp/hiroo117/entry-12617618375.html