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木を植える

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな人生論』(致知出版社)です。その中から「涙を流す」という題でブログを書きました。

本書の中に「木を植える」という心に響く文章がありました。

老人が松の苗木を植えていた。通りがかった君主が老人に年齢を尋ねた。「八十五になります」 君主は笑った。「その松が立派な木材になっても、自分では使えないだろうに」と。 

八十五翁は言った。 「国を治めている人のお言葉とは思えませぬ。私は自分のためではなく、 子孫のために植えているのです」 

君主は恥じ入るほかはなかった。 江戸時代の儒学者・太宰春台の『産語』にある話である。 

人を育てるのもまた、かくの如しだろう。一人ひとりを丁寧に教育し、 根づかせ、成長をうながす。だが、そうして育てた人たちが担う時代の豊かさを、先人が享受することはない。 

それでも人を育て続けなければならない。それは命を受け継いで後から来る者に対する、先行する者の不可欠の責務なのだ。

◆幸田露伴は、「幸福三説(こうふくさんせつ)」を唱えた。

1.《惜福(せきふく)》とは、福を全部使ってしまわずに惜しむこと。人気絶頂の俳優が、まだあと何十年と活躍できるにもかかわらず、惜しまれながら引退する、というようなこと。
2.《分福(ぶんぷく)》とは、人に福を分けること。
3.《植福(しょくふく)》とは、子孫や未来の子供たちのために、福を植えておくこと。

その中でも「植福」がこの松を植える老人の話と同じだ。幸田露伴はこの三説の中で一番重要なのは「植福」だという。なぜなら、我々が今文明の豊かさを享受しているのは、先人の植福のおかげだからだ

マルティン・ルターは「たとえ明日、地球が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える」と言った。

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