初代中村仲蔵のこと
今日のおすすめの一冊は、高田明和氏の『一瞬で不安をしずめる 名言の知恵』(成美堂出版)です。その中から「アタマは低く、アンテナは高く」という題でブログを書きました。
今日のブログとは関係ないのですが、本書の中にとても素敵な一節があったのでシェアします。
《雲や嵐なしにはいかなる虹もあり得ない。》(米国・J・H・ヴィンセント)この言葉は、成功を得たいなら、嵐に耐えなくてはならないということです。辛苦(しんく)の果ての成功と聞くと、私はいつも落語の『中村仲蔵(なかぞう)』を思い出します。江戸時代に実在した歌舞伎役者の噺です。
中村仲蔵は浪人の子から役者になったので、血筋を重んじる歌舞伎界で非常に苦労し、一時はスランプから自殺未遂をしたほどです。しかし、努力の末、名題(なだい・看板役者)にまで昇進しました。当然、周囲のやっかみは強く、次の芝居の役は『忠臣蔵』五代目の定九郎だけでした。定九郎は山賊の扮装で現れてすぐ死ぬ悪役で、名題にふさわしとはいえません。しかも五段目は食事に立つ客が多い時間帯です。
仲蔵は怒り、誘われていた上方(関西)歌舞伎に行くことも考えました。しかし、妻が「上方でも成功する。行きなさいな」とは言わず、「これは、この役を立派にやりとげなさいという仏のお告げですよ」と諭すので、考えを改めました。そして画期的な役づくりをしようと寺に願をかけ、毎日参拝します。しかし妙案は浮かばず、満願の日には雨に降られ、寺近くの蕎麦屋に飛び込みました。
そこに浪人者が入ってきました。色白で、伸びた月代(さかやき)から雨水が垂れ、刀を帯びて尻をはしょるという異様な姿です。それを見た仲蔵は「これだ!」と思いました。そして工夫を重ね、初日を迎えたのです。客が食事に立とうかというところに、水を垂らして定九郎が出てきます。その姿は斬新で迫力に満ち、客は誰もが息を呑んで見とれたのでした。こうして中村仲蔵は、名優の名を欲しいままにするようになるのです。
山田無文老師は「こちらは二つの目で世間を見ているだけだが、世間は何千、何万の目でこちらを見ている。一生懸命に尽くす人を見逃すはずはないのだ」と言っていました。ただし、世の中は複雑で、時期が来なければよい処遇をすることができないことがしばしばです。ですから、焦ってはいけないのです。
私もこの中村仲蔵の人情噺は大好きで、涙が出てしかたなかったことがあります。「名人仲蔵」と呼ばれた名優で、妻は長唄の七代目杵屋喜三郎の娘お岸です。落語だけでなく講談でも良く知られた演目です。
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