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年と共に人生の佳境に入る

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『生きる力になる言葉』(致知出版社)です。その中から「心の食べ物は言葉」という題でブログを書きました。

本書の中に「年と共に人生の佳境に入る」という安岡正篤師の心に響く言葉がありました。


《中川一政語録》
●愚かなる者、汝(なんじ)の足元を掘れ、そこには大いなる泉が湧き出す。
●生きていなければ駄目だ。水の如くたえず勉強していなくてはだめだ。 水の流れる如くたえず勉強していなくてはだめだ。
●今打った手がいまに効いて来る。 今は誰にもわからない。
●「ひねもす走りおおせたる者 夜のやすきにつくこそよけれ」…セネカ
中川さんが好んで書いた言葉です。 そういう日々を生きていた、ということでしょう。 最後は武者小路実篤氏が中川さんに与えた色紙の言葉。
「袋は腐ったが 中にある宝玉(ほうぎょく)は ますます輝き出す 真理に生きた男 一政兄 実篤」 先輩からこういう言葉をもらえる人は幸せです。 年を取るごとに、中にある宝玉がますます輝き出すような人生を私たちも歩んでいきたいものです。
「年と共に人間の佳境(かきょう)に入るのが本当である」 安岡正篤先生の言葉です。 先日、大阪で70歳の女性にこの言葉を紹介したら、ものすごく感動されていました。 ある程度の人生を経てこなければ、この言葉の意味は理解できないかもしれません。 人は年を取るごとに、その心境が佳境に入っていくような生き方をしたいものです。
最後に「酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)」の言葉。
●「君子に三惜(さんせき)あり この生、学ばず、一に惜(お)しむべし この日、間過(かんか)す、二に惜しむべし この身、一敗(いっぱい)、三に惜しむべし」
「この生、学ばず」というのは、せっかくこの世に誕生して人生を与えられているのに、人生をよりよく生きるための学びをせずに、せかせかと過ごしてしまうのは誠に惜しむべきことだ、ということです。
また、毎日をダラダラと無意味に過ごしてしまうのは、 第二に惜しむべきことであり、 せっかく立派な身体を与えていただいているのに、 身を失敗する方向に持っていってしまうのは、 第三に惜しむべきことだ、 といっています。

藤尾秀昭氏は、本書の中で、 「さらに参ぜよ、三十年」 という禅の言葉を紹介していました。 いいかげんなところで我が行もこれで成れりと思うな、 そこからさらに三十年行ぜよ、という教えだといいます。

「佳境に入る」とは、ドラマや映画などで、物語りが、頂点に達すること、最高潮(クライマックス)を迎えることです。もし、「年と共に人間の佳境(かきょう)に入るのが本当である」を実践するのなら、それは勉強しかありません。 いくつになっても、日々精進し、学ぶ。 そして、その学びこそが、いつかジワジワと効いてきます。

人生に、即効薬などありません。 「さらに参ぜよ、三十年」。 いくつになっても、「これでいい」ということはないのです。 さらに一歩、前にすすみたいと思うのです。

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