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「たのまれごとがある人生」はそれだけで幸せ

今日のおすすめの一冊は、中村恒子氏の『うまいことやる習慣』(すばる舎)です。ブログも同名の「うまいことやる習慣」と題して書きました。

昔からの私の大きなテーマのひとつに「頼まれごとの人生」というものがあります。人の生き方には大きく分けて二つの道があるのではないかと思うのです。ひとつは「目標達成型」です。願望実現型または、夢実現型ということでもあります。この目標達成型こそが一般的で、学校でも、社会でも、このことしかない、という感じで教えています。

世間では、「夢を持たなければダメだ」「目標を持ってそれに向かって進んでいくこと」、「夢の実現のために計画を立てること」などなどが大事だと繰り返し教えます。だからひとたび、「夢や目標を持っていない」などと、フッともらそうものなら、大バッシングが待っています。なんて投げやりな生き方だ、もっとしっかりしろ!と。

しかし、私は「たのまれ型」という生き方もあるのではないかと思うのです。これは、頼まれたことや、なぜかやらざるをえなくなったことを、淡々と引き受けていくという生き方です。自ら進んでやろうと思わなかったことでも、運命のいたずらでやらざるをえなくなる、もっというなら、貧乏くじを引いてやるはめになった、などという場合です。

夢や目標を持っている人は、それに向かって進みます。それはある意味、理想ですし、完璧な夢や目標が持てるなら、苦労はしません。しかし、ほとんどの一般人は、そんな目標や夢は持てないのが現実です。学校やセミナーなどのワークショップで目標を書いたとしても、ほとんどがその場限りの思い付きなので、それは実現することはまずありません。

「目標達成型」は目標に向かって一途に進むので、途中起こることは、ほとんどが想定内のできごとです。もちろん、思いがけないトラブルや困難もあるでしょうが、目標達成という一点においては、できるかできないか、というわかりやすい行動目標があるだけです。しかし、「たのまれ型」は違います。「たのまれること」はたいてい、自分でも思ってもみなかったようなことや、経験したこともないようなことが多々起こります。

それは、「この人ならできるだろう」「やってくれるだろう」と人が勝手に考えて頼んでくるからです。すると、「目標達成型」とは違い、最初のスタートからして想定外のことだったりします。サッカーのプロになりたい、と思っていても、なぜか実家の父親の具合が悪くなって、飲食店に入ることになったり、美容院をやることになったりするからです。飲食店だけはやりたくなかった、などという人が、親を引き継いで、意外に立派な経営をし、事業を拡大している、ということも珍しくありません。

小林正観さんは「たのまれごとのある人生」についてこう語っています。

「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、辛い、悲しい、嫌だ、嫌いだ、疲れた」という言葉を言わなくなって、三ヵ月から半年くらい経つと、突然に頼まれごとが始まります。頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。「適当に」というのは、『適度に』ということです。
「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。それを「立命」の瞬間といいます。
自分の好きなこと、嫌いなことをより分けていると、なかなか自分の所に面白いことは起こらないようなのです。宇宙の仕組みに、「自我+お任(まか)せ=百」という方程式があります。自我が三十パーセントだと、お任せが七十パーセント。自我がゼロパーセントだと、お任せが百パーセントという仕組みになっています。私は、頼まれごとを、好き嫌いで選ぶのではなく、三つ目の選択をしています。
それは、「ただ、淡々と生きる」という生き方です。頼まれごとを、自分の評価、論評を入れずに淡々とこなしていく。あれがしたい、これがしたい、という自我や目標があったら、そこにたどり着くために、努力しなくてはいけません。また、努力しても叶わないこともあるでしょう。ただ、頼まれごとをして淡々と生きていくと、何を頼まれるかわかりません。自分が想像しなかった方向へどんどん流れていくこともあり、考えていたときよりも、はるかに楽しいことが起こっていくようなのです。
頼まれごとがあるということ自体が、人間としてとても幸せなことなのです。「ヒトは一人で生きているとヒト。人の間で生きることが人間」死ぬまでに人間として何をするのか、何のためにこの世に生を受けたのか?それは、「いかに人の間で喜ばれる存在だったか」を残すことなのでしょう。業績や実績を残すことではありません。自分の身の回りの人(家族・友人・知人)から、「あなたに○○をしてもらって良かった」と言ってもらえること。
さらに向上すると、「あなたがそばにいてくれて良かった」というレベルになります。そばにいるだけで、その人が自分を明るくして、心を温めてくれることを「仁」と呼びます。「人が二人(あなたのそばにいつもいます)」という意味です。(日々の暮らしを楽にする/Gakken)

たのまれごとのある人生、目指したいです。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


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