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恕(じょ)かな

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな人生論 2』(致知出版社)です。その中から「徳をつくる」という題でブログを書きました。

本書の中に「恕(じょ)かな」といる心に響く文章がありました。

元京都大学総長の故平澤興さんは、論語の一節がお好きだったようで、 著作や講演によく引用されている。 以下、平澤さんの解釈に従う。 

子貢(しこう)は聞いた。 「先生、たった一語で、一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、 そういう言葉がありますか」 孔子は、 「それは、恕(じょ)かな(其恕可)」と答える。 

孔子が「恕なり(其恕也)」と断定せず、「恕か」と曖昧(あいまい)に答えたところに、 なんとも味わい深い孔子の人柄を感じる、と平澤さんは述べておられる。 

自分がされたくないことは人にはしてはならない、それが恕だ、と孔子は説いた。 つまりは思いやりということである。 他を受け容れ、認め、許し、その気持を思いやる。 自分のことと同じように人のことを考える。 そのことこそ、人生で一番大切なことだと孔子は教えたのである。 

◆孔子は、人生で一番大切なことは、「恕」ではないかな、と言った。 色々大切なものがある中で、選んだすえの言葉だ。 思いやりがある人は、他人の立場に立つことできる人。 他人の痛みや、苦しみ、喜びを自分のことのように感じることができる人。 

他人の立場に立つことができる人は、自己肯定ができる人だ。 「私ってすごい」とか、「俺っていけてる」と、 いくら自分だけで思っても自己肯定にはならない。 

自己肯定とは… 誰かの役に立っていると、思えること。 自分は誰かに愛されている、と思えること。 自分を大事に思ってくれる人がいること。 自分を必要としてくれるところがあること。 自己肯定は、他者からの肯定でもあるのだ。 

自己肯定ができなければ、人を受け入れることも、 認めることも、許すこともできないし、人を思いやる余裕も持てない。 

人の役に立つこと、人の喜びのために懸命に働くことを続ければ、 誰かに認められ、必要とされる人となる。 それが、自己肯定への早道。 人生で一番大切な、「恕」という「思いやりの心」を育てたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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