肯定的になったときだけ、冒険的になれる
今日のおすすめの一冊は、矢作直樹氏の『ご縁とお役目』(ワニブックスPLUS新書)です。この中から「日本のよき価値観」という題で書きました。
ほとんどの日本人は自虐史観によって「愛国心」とか「国を守る」あるいは「国歌の君が代」という言葉に反応してしまいます。しかし、世界中の国歌を見ればわかりますが、日本ほど平和で穏やかな国歌はありません。
◆ ロシア 「鍛えられし わがつわもの 攻めくる敵 討ち破り 断乎と守る 尊き国わが祖国に栄あれ。栄光の民よ 自由の祖国 結ばれしその誉れ 旗のかげで 導けよ勝利の為 進めよや」
◆中国 「立て、奴隷となるな、血と肉もて、築かんよき国。立て!立て!立て!心あわせ、敵にあたらん、進め、敵にあたらん。進め、進め、進めよや」
◆フランス 「ゆけ祖国の国民 時こそ至れり正義のわれらに。旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり。立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん」
◆イギリス 「おお神よ 我らが神よ 敵をけ散らし降伏させ給え 悪らつな政策と奸計を破らせ給え 神こそ我らが望み 国民を守らせ給え」
◆.アメリカ 「おお激戦の後に 暁の光に照らし出された星条旗が見えるか 夜どおし砲弾が飛びかった後に、われらの星条旗が翻っている。自由な祖国、勇敢な家庭 星条旗をふれ 星条旗をふれ 戦闘がやんで微風が吹く中に 濃い朝霧の中 見え隠れしているものは何か これこそわれらが星条旗 神よ!星条旗をふり続け給え 自由の祖国勇敢な家庭の上に」
◆日本 「君が代は 千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて、苔のむすまで」。
日本以外は、すべて血なまぐさく戦闘や戦争の歌であり、現代から考えると品格も気品もありません。ましてや子どもに歌わせられない歌詞でもあります。日本の国歌は、かくも平和でみやびで、穏やかなのに、これが戦争と結びつけられたり、「君が代」を歌うと右翼と言われたりします。そういう方は、是非、他国の国歌を見て欲しいと思います。
行徳哲男師は「肯定の哲学」についてこう語っています。(随処に主となる)より
ティヤール・ド・シャルダンの『現象としての人間』という本があります。シャルダンはもともと北京原人などを発掘した人類学者の一人ですが、その中で、「人間は否定の哲学のつくりすぎだ」といっている。つまり、否定的にものを見ることが進歩だと思っているから、何でも否定的に見なければ学者であり得ないというところがあるということです。
そして、私はその否定の哲学の頂点がマルキシズムだと思いました。権力が悪い、金持ちが悪い、いろいろなものが悪いからこうしなければならないという否定の弁証法なのですね。否定の哲学なんです。
しかし、シャルダンは、「もう否定の哲学は終わった。これからは肯定の哲学をどう構築するかだ。ところが、肯定の哲学には条件がある。その一つに“V”がある。そしてもう一つは“C”がある」といっているわけです。Vとはバイタリティ、ビジョン、ベンチャーであり、Cはチャンス、チェンジ、チャレンジということです。
バイタリティがあると人間はビジョナブルになることができ、希望があればくたばらないという。バイタリティがあってビジョナブルになると、人間は必ず冒険的(ベンチャー)になりますね。そして、こういうのです。「冒険的になったときには、人間が大変肯定的になっている証拠だ。コンサバティブ(保守的)になっているときは、人間は否定的だ」と。
SNSでの人格を否定し、存在すらも許さないほどの否定コメントの嵐。日本の古きよき価値観を否定する風潮。現代は異常なまでの否定全盛時代です。しかし、人間は肯定的になったときだけ、冒険的になれるのです。そして、夢を見ることができます。否定からは何も生まれません。
肯定の哲学を身につけたいと思います。
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