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世の中は一生勉強するための教場
今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな修養論』(致知出版社)です。その中から「人間の三つの本能」という題でブログを書きました。
本書の中に「世の中は一生勉強するための教場」という心に響く文章がありました。
当時八十六歳だった明治の実業人浅野総一郎氏が五十代だった新潮の創業者佐藤義亮(ぎりょう)氏に語った言葉が滋味深い。心耳(しんじ)を澄ませたい。
大抵の人は正月になると、また一つ年を取ってしまったと恐がるが、私は年なんか忘れている。そんなことを問題にするから早く年がよって老いぼれてしまう。世の中は一生勉強してゆく教場であって、毎年毎年、一階ずつ進んでゆくのだ。
年を取るのは勉強の功を積むことに外ならない。毎日毎日が真剣勝負。真剣勝負の心構えでいる人にして初めて、毎日のように新しいことを教えてもらえる。 私にとって、この人生学の教場を卒業するのはまず百歳と腹に決 めている。
昔から男の盛りは真っ八十(はちじゅう)という。あなたは五十代だそうだが、五十など青年。大いにおやりになるんですな。
◆「四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧 六十、七十は働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ」(渋沢栄一)
渋沢栄一は91才で亡くなるまでに、銀行、製紙会社、紡績会社をはじめ、なんと500以上の会社を設立している。当時の平均寿命からすると倍近く生きた人で、そのエネルギーには人を圧倒させるものがある。
「毎日毎日が真剣勝負で、世の中は一生勉強するための教場」という言葉を胸に刻みたい。
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