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お金とエネルギーの話

今日のおすすめの一冊は、來夢氏の『運活力』(じっぴコンパクト新書)です。その中から「誰と一緒に長い人生を歩むか」という題でブログを書きました。

本書の中に「お金とエネルギーの話」という興味深い文章がありました。

お金は、たとえ善良な人でもその人の気持ちを麻痺させたり、狂わせてしまったりするところがある。 自分の器に見合わないお金を持ちすぎると、そのときの自分に見合う難問が舞い込む。 だから、世間一般的に見た「お金の対価」みたいなものを把握しておくことも大事。
人からご厚意を受けたとき、その感謝をお金に換算するとこれくらいの価値があるな、ということを明確に自分で知っておく。 それは何でもお金で解決しようという傲慢な考え方ではなくて、自分が相手から受けたエネルギーがいかに大きいかを謙虚に受け止めるということ。
いいエネルギーの使い方をしている人は、自分の価値観を明確に持っていて、だからこそ、与えてもらった厚意に対する的確な価値を見出すことができるのだ。 世間の常識的な対価がどんなものなのかをおさえた上で、その相手が誰であっても、これだけしていただいている、これだけ尽くしてもらっているのだから、これだけの価値がある、ということを明確に把握している人のエネルギーは、とてもスムーズに流れている。
日々の労働をちゃんとこなして、自分の中でそれぞれの収支の均衡がとれている人というのは、お金に対する多少の不満があったとしても、大きな病気にはならないし、大きなお金を騙し取られるというようなこともない。 ところが、必要以上に儲けたり、対価をきちんと支払わなかったりした場合には、「あぶく銭」的な部分が増えるから、それをちゃんと燃焼させない限りは、自分にマイナスのエネルギーとして跳ね返ってくることになる。
お金は人間のエネルギーを物質化したもの。 その人がエネルギーを費やした時間に対する対価なのだ。 だから、自分が費やしたエネルギー以上に大きく儲けたときのような余剰分については、どこかでバランスをとっていかないといけない。
その人にとって一時的に必要以上にボロ儲けしてしまったり、何かズルをして儲けてしまったときには、その人生の先でその分のお金は失うという流れが起きて、うまく帳尻は合うようになっている。
自分の器に見合わない、あるいは自分の肉体的な労働対価に見合わないお金が入ってくると、まず人相が悪くなってくる。 瞳が曇ってくる。 そして、身体を壊したり、家庭崩壊という悲劇が起きたりもする。
たとえば、AとBが一緒に飲みに行った。 Aは「聞いて、聞いて」と自分の話ばかりをして、Bは聞き役だった。 飲み終わって席を立つときに、「今日は話を聞いてくれてありがとう」と言ってAがBにおごれば、エネルギーはきれいに回る。 だけど、AがBに甘えるばかりで、飲み代までBに出してもらったら、エネルギーはうまく回らない。
そんなあたりまえのことに気づかないで、いつも「聞いてよ、聞いてよ」と話だけ聞いてもらって、割り勘でも当然とか、ましてや一方的におごってもらっていたら、人間関係は続かないし、どこかでおかしくなっていく。
また、お金に関しても、借金する人と踏み倒される人がいたとする。 お金を借りて踏み倒したほうは、しめしめ、してやったりで逃げおうせたと思う。 一方、借金を踏み倒されたほうは大変。 踏み倒された人は、踏み倒されたという試練にぶつかることで、必ず学べるものがあるはず。 踏み倒されたお金は、いわばその月謝のようなもの。 その月謝は、一時的には高いと感じるかもしれない。 けれど、長い目でみたらその分はちゃんとどこかで人生の帳尻が合うようになっている。
踏み倒したほうは、一時は得をしたように見えるかもしれないが、結局、その先で大きな損失があったり、体を壊したりというような出来事が起きる。 人生はトータルで見たら、ちゃんと帳尻が合うようになっている。

幸田露伴は三つの幸福があるといいます。 それが、「惜福(せきふく)、分福、植福」です。 惜福とは、自分に与えられた福や運を使い尽くすことなく、取っておくことです。 分福とは、自分に来た福や運をひとり占めせずに、分け与えることです。 植福とは、自分の子孫や後からくるもののために、福や運の種まきをすることです。

これは、まさにお金に対する接し方と同じです。 「お金は人間のエネルギーを物質化したもの」。 お金としっかり向き合い、感謝の気持ちで接したいものです。

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