![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153274827/rectangle_large_type_2_8d42426e04f56010ab8da755b17e29ed.jpeg?width=1200)
日本は情緒を重んじる国
今日のおすすめの一冊は、藤原正彦氏の『スマホより読書 本屋を守れ』(PHP文庫)です。その中から「読書の復権を」という題でブログを書きました。
本書の中に「日本は情緒を重んじる国」という心に響く文章がありました。
私たちが家族以外に真に心を通わせられる相手は、一生のうちせいぜい二、 三人でしょう。ところが書物の世界では、無数の作者や登場人物とのあいだで深い心の交感ができる。
たとえば宮沢賢治の『よだかの星』を読んで涙を流す、という経験を一度でもした人が、弱い者いじめに走るでしょうか。
情緒に加え、人間の判断にとって重要なのは大局観であり、弱者を思いやる惻隠の情です。これらはいずれも本を読むことによって得られます。
児童文学や抒情小説や詩歌を読んで涙を流し、時代小説や講談本などに人情など庶民の哀歓を知り、歴史書から郷土愛、祖国愛を育み、哲学書に賢人の知恵を学ぶ。読書を積み重ねるうちに、氾濫する情報の渦から教養や情緒や道徳や美的感性によって「まともなもの」と「下らないもの」、本質と些細を選び分ける目が養われていくのです。
日本人は伝統的に情緒を重んじる民族です。中国のように利を尊ぶ国とはまるっきり違うのです。日本では、情緒や美的感性の乏しい人は、いくら頭が良くても、いくら金持ちでも尊敬を得られない。
現代の政治家は学歴秀才が多く、論理的思考で突っ走る人が多い。しかし論理的思考が正しくても、出発点を間違えれば結論も必ず間違いとなります。論理と同等かそれ以上に重要な、出発点を選ぶ力が「情緒力」です。
日本人の場合は惻隠などの情緒や美的感性、卑怯を憎む心、武士道精神に基づく道徳が、私たちの論理の出発点を形づくっている。
◆「情緒がある」とは、心に深く感じる情感やムードを醸し出す状態をいい、深い感動や共感を引き出す力がある。「情緒」を感じるには、「感性」がなければならない。感性とは感じる心。感性や情緒を育むには、涙する本、感動する本を読むことだ。
行徳哲男師は「理性や知性を磨きすぎることは命をすり減らすことと等しい」という。そして、「人間の衰退は感性の摩耗(まもう)から始まる」と。感性がすり減って鈍くなると、人間の衰退が始まるというのだ。
いくら、学歴秀才であっても、論理が優れていようと、情緒や感性が鈍かったら、必ず間違った方向に行ってしまう。
「日本は情緒を重んじる国」という言葉を胸に刻みたい。
今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす