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貧乏は味わうもの

今日のおすすめの一冊は、山口智司氏の『人生を奮い立たせる アウトロー100の言葉』(彩図社)です。その中から「新しいことは、すべて冒険」という題でブログを書きました。

本書の中に「貧乏は味わうもの」という心に響く言葉がありました。

《貧乏はするもんじゃねえ。 味わうもんだ…》(古今亭志ん生・落語家) 

「昭和の大名人」と称される名落語家、五代目古今亭志ん生。 ディティールにかまわない落語のスタイルで、同じ噺でも日によって長さはバラバラ、途中から別の噺に変わることさえあったが、その場に合わせる巧みな話術で、客を引きつけた。 

あるとき高座で寝てしまったこともあり、それを見た客が「寝かしてやれ」とそのままにしておいたのは、伝説として語り継がれている。 

破天荒なのは高座だけではなかった。 酒を愛した古今亭志ん生は、関東大震災が起きると真っ先に酒屋に走り、空襲が来たときも「どうせ死ぬなら」とビールを飲み、酔っ払って寝ていた。 ウォッカを6本飲み干し、意識不明になったこともある。 

その放蕩ぶりは激しく、また戦後になって売れ始めるまで、極貧時代を過ごしていた。 16回も改名したのも、借金取りから逃れるためだったという。 『びんぼう自慢』という著作まである名人のこの一言。 重みが違う。 

◆なんとも人を食ったような志ん生師匠の言葉だ。 「味わう」とは、物事の、おもしろみや、おかしさや、情緒、風情を、しみじみと感じ取ること。 本来なら、悲惨で辛いことを、少し視点を変えて、「味わう」。 そこに、なんとも言えない情味がある。 

つまり、粋な大人が発する言葉だ。 粋(いき)には、「意気地」という意味がある。 「意気地」とは、面目や自分の意思を通すという気構えのことをいう。 その反対が、「意気地(いくじ)なし」。 

貧乏をむしろ楽しんでしまう。 「それ(貧乏)がどうした」、というちょっとした反骨の気構えだ。 貧乏も、病気も、諸々の失敗も、苦労も、それを味わってしまう、そんな粋な大人でありたい。

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