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一日読まざれば一日衰える

今日のおすすめの一冊は、森信三師の『森信三 運命をひらく365の金言』(致知出版社)です。その中から「人生二度なし」という題でブログを書きました。

本書の中に「一日読まざれば一日衰える」という心に響く文章がありました。

読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、一日読書を廃したら、それだけ真の自己はへたばるものと思わねばなりません。

肉体の食物は一日はおろか、たとえ一食でもこれを欠いたら、ひもじい思いをするわけですが、心の養分としての読書となると、人々はさまで考えないでいるようですが、諸君らの実際はどうでしょうか。

これは諸君らが、今日自分は心の食物として、果たして何をとったかと反省してみれば、だれだってすぐに分かることです。口先ばかりで、心だの精神だのと言ってみても、その食物に思い至らぬようでは、単なる空語(そらごと)にしかすぎません。

その無力なことも、むべなるかなと言うべきでしょう。そこで諸君は、差し当たってまず「一日読まざれば一日衰える」と覚悟されるがよいでしょう。

また、書物を買うのみが最上にはあらず。いわんや書物の買い惜しみをする様では、とうてい人生の関所を越ゆべくもあらず。

才の人は、二十代三十代は、才にてごまかせても、四十五十に至りては、書を読まぬ人間は、何としても油が切れて運転は止まるものなり。

「一日作(な)さざれば、一日食らわず」という百丈懐海(ひゃくじょう・えかい)禅師の言葉がある。

百丈禅師は高齢になっても毎日鍬(くわ)を手に畑仕事をしていたという。まわりの若い雲水が高齢にもかかわらず、炎天下で畑仕事をして体調を崩したらどうしようと、一計を案じ、ある日禅師の使っている鍬などの農機具をすべて隠してしまった。

農具がないのを知った禅師は仕方なく部屋へと帰っていった。ところが食事の時間になっても、禅師は一切食事に手をつけない。どうしてかと雲水が尋ねると、禅師は「一日作さざれば、一日食らわず」と言ったという。

今日、やるべきことは先延ばししない。今日一日、自分のやるべきことを淡々とやる。まさに、読書もまた同じだ。

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