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真の魅力はリラックスの中にある

今日のおすすめの一冊は、無能唱元氏の『人蕩(じんとう)術奥義』(致知出版社)です。その中から「陽気さこそすべての源泉」という題でブログを書きました。

本書の中に「真の魅力はリラックスの中にある」という心に響く文章がありました。

それは、真の意味における魅力、それはまた「人間的魅力」と呼んでも差しつかえないとも思いますが、この魅力は、「緊張の中にあるものではなく、もっぱら、弛緩の中に存する」ものだ、という点です。

言い替えれば「真の魅力とは、リラックスの中にあるものである」ということです。さらにいうならば、それは自分の人生を余裕をもってながめている態度とも考えられます。前にも申しましたが、「知識がある」「金持ちである」「美人である」というのは、確かに魅力の一要素ではありますが、それは、私の考え方によれば「緊張のサイドにある魅力」であると思うのです。 

これに反して、リラックスの中にある魅力とは、その人の外部的な特質ではなく、主として、内部的なその人の心の働きによって、外へそれがにじみ出てくるものでありましょう。 だからこそ、それはその人の才能の多寡、社会的身分、美人かブスかなどに関係なく、人々の心を捕らえてしまうのです。 

通常それは「その人の人柄である」というように言われ、それは生まれながら自然にその人に備わっているもので、人力で左右できないもののように思われているようです。 しかし、これはそうではありません。このような内面的魅力は、自己コントロールという人力をもって、どのような人でも身につくことなのです。

そして、それは大きなリラックス行でもある、と私は考えるのであります。それは、その人の人となりに、一つのゆとり、余裕といった雰囲気をただよわすようにもなるのです。この「余裕」こそ、最も大切であります。

なぜなら、この人蕩(とう)の術を身につけるには、この余裕という心的態度なくしては不可能だからなのです。では、このような余裕を得るには、どうしたらよいか、というと、それには、人生を楽しもう、と決心することです。

また、自分の人生を一つのゲームである、と思うことです。 言い替えれば、あまり真剣に「何が正しいことか?」などということを追求するのをやめて、「明るく、楽しく暮らす」よう考えることです。 「遊行者(ゆぎょうしゃ)」と仏教ではいいます。この世の旅路を、淡々と楽しみながら生きて行こうと心がけることです。

◆たとえ問題が山積していようと、それを悩みとするかどうかは別の問題。次から次へと難問が降り注いでいる人でも、明るく前向きに生きている人はいる。反対に、問題を多く抱えている人からみれば、些細なことであっても、それを苦にして、悩み苦しむ人もいる。

悩みを抱える人には弛緩(しかん)という緩(ゆる)みがない。たえず、緊張し、重圧を感じて、神経質になり、硬(かた)くなっている。硬直した心をほぐすには、自分を一旦高いところから見つめるという、俯瞰(ふかん)する心が必要だ。

問題が起きたら、自分を他人のように客体化してみる。人生を一場の舞台のように見ることでもある。「人生は冥土(めいど)までの暇つぶし」と、今東光和尚は言った。まさに、遊行者の心境だ。人生を、あたかも遊行者の如(ごと)く、余裕を持って淡々と生きてみたい。

そして、「真の魅力はリラックスの中にある」という言葉を胸に刻みたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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