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人生すべてガチャ

今日のおすすめの一冊は、安藤寿康(じゅこう)氏の『生まれが9割の世界をどう生きるか』(SB新書)です。その中から「偶然と運を味方にできる人」という題でブログを書きました。

本書の中に「人生すべてガチャ」という興味深い文章がありました。

2021年に「親ガチャ」が新語・流行語大賞のトップ10に入りました。親の良し悪しで子どもの人生が決められてしまう。それはスマホゲームやカプセルトイのガチャ同然、運次第で、自分の努力ではどうしようもない。これがいまの若者を取り巻く閉塞感を象徴する言葉として流行し、注目されたようです。 
 
行動遺伝学者としては、「何をいまさら」と、これを冷ややかに眺めていました。人生すべてガチャであることなど、行動遺伝学的には当たり前の、生物学的必然です。
 
ところが世間のこの言葉の使い方を見ると、どうも遺伝と環境のことが区別されていない。社会学者が文化資本論なんか持ち出して説明していたりして、どちらかと言えば環境からの説明が多く、遺伝の方には全然注目していない。まあ、そんなのはいつものことですが、こ れには違和感を強く覚えました。 
 
この年はマイケル・サンデルの『実力も運のうち、能力主義は正義か?』(早川書房) も注目されました。この主張は、私も前からそう思っていたことでもあり、基本的には賛同していますが、能力主義批判の根拠として当然位置付けられる根拠として当然位置付けられるはずの遺伝については、 オブラートに包んだまま理論構築しようとしているのに歯がゆい思いがしました。
 
 時代は大きく変わってきているのです。遺伝子の塩基配列を全部読み解くゲノムワイド関連解析(GWAS : Genome Wide Association Study)から算出されるポリジェニックスコアによって、一人ひとりの知能の遺伝的素質を描くことができるようになりました。
 
それはまだ厚いすりガラスの向こう側に浮かび上がる姿をみるような、ぼんやりとしたものにすぎませんが、それでもおぼろげに遺伝子の姿が具体的に見えるようになってきました。これはそもそも人の能力の個人差に遺伝の大きいことを教えてくれる行動遺伝学に出会った時から、打ちのめされるような研究成果にたびたび出会い、自らのデータからもそれを確認してきた私にとって、追い討ちをかけてくれる研究の進歩です。 
 
脳科学の進歩にも目覚ましいものがあります。ヒトの精神活動が、脳のどのようなネットワークの活動に支えられているかについて、かなり具体的なイメージを持てるようになりました。
 
さらに脳が外界の刺激にただ受動的に反応して学習をしているだけの臓器ではなく、能動的に外界を予測するモデルを作って、世界のリアルとのズレを最小限にしようと認識や情動を内的に作り上げていると考えることで、脳活動のすべてを説明できそうだという画期的な理論も登場しました。 
 
これらを従来からの双生児法による行動遺伝学の成果と結びつけて考えると、親ガチャ はまず遺伝ガチャで、親による環境ガチャの影響は限定的、むしろ誰のせいにもできない、 予測すらできない偶然の状況との出会いこそが、環境ガチャの本質であることが明確にな ります。
 
遺伝という内部からも、環境という外部からもガチャだらけのはざまで、脳は常に世界についての確率計算を行い、認識し、行動し、学習し続けます。遺伝的素質と呼ば れるものは、その中でばくぜんとした内的感覚として察知され、経験の過程を経て、能力として、才能として社会の中に実装されるようになります。

親ガチャとは、子供は親を選べないし、環境や境遇(どの国に生まれるか、どういう家庭に生まれるか等)も選べない。つまり、人生は運まかせということ。スマホゲームのガチャに例えている。

また、ポリジェニックリスクスコアとは、ある個人が持つ、病気の発症リスクを高める遺伝子の要素をスコア化(点数化)して、病気の発症や進展を予測する手法だ。

「人生すべてガチャ」だという。それは言ってみれば、クランボルツ教授の唱える「計画的偶発性理論(プランドハプンスタンス)」。成功した人のキャリアを調査したところ、その8割が、本人が計画したものではなく、予想しない偶然の出来事によるものだったところからきている。

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