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機嫌よく生きるには

今日のおすすめの一冊は、無能唱元師の『小さなサトリ』(河出書房新社)です。その中から「気が陽であれば」という題でブログを書きました。

本書の中に「機嫌よく生きるには」という心に響く文章がありました。

別れの挨拶に「気をつけてね!」があります。「気をつけて」とは、よく用いられる言葉であり、また何の変哲もない日常語でもありますが、私は、あまり頻繁(ひんぱん)にこの言葉を聞くのを好みません。

なぜなら、この言葉には、かすかにではありますが、恐れの感情が含まれているからです。この恐れの感情は、深層意識下で成長増大する、それこそ恐れなしとは言えません。この「気をつけて」に対して、もう一つの別れの言葉に、「ご機嫌よう」があり、これの方が私は好きです。

しかし、この「ご機嫌よう」の方が、「気をつけて」に比べて、世間では使われる頻度がずっと少ないようです。

ソクラテスは「大切なことは、ただ生きるのではなくて、よく生きるということなのだ」と言ったそうです。では、「よく生きる」とは、解りやすく言えば、どういう生き方なのでしょうか?

私はそれは、煎(せん)じ詰めれば、「機嫌よく生きる」ことだと思います。ですから、「ご機嫌よう」という言葉には、この願いがこめられており、この言葉を繰り返し使うことにより、それは無意識の祈りの言葉となって、人々のアラヤ識に収められるのです。

そしてそれは、その人の未来の人生に良い影響をもたらします。誰もが知っていることですが、機嫌よく生きるには、二つの要素を必要とします。

その二つとは、まず、自分にとって有利な情報を得ること、そして次には、自己コントロールによって、自らの機嫌を良くすることです。この両者が協力しあって、初めて、機嫌よい状態が生じるのであります。

ところが、物質的に生きている人は、大体において、自分の機嫌の悪さを、第一の条件である外部からの情報のせいにします。すなわち、人のせいにします。逆に精神的に生きている人は自分の心のいたらなさを責めるのです。すなわち、自分のせいにするのです。

世間の人々の在り方を見てみると、第一の条件、すなわち、外部的条件に、すべての責任を負わせている場合が圧倒的に多いのも事実ですが…。しかし、究極的には、外部、内部の両面において、その充実とバランスを図らなければならないのです。

すなわち、「環境的には、富、成功、健康などをもって整え」「意識的には、小さなことに対しても、感謝と喜びをもって反応する」よう、自己コントロールに励むことです。私たち人間は、この二つの行動を行うことによって、自分の人生を、機嫌よく生きることができます。

機嫌が良いとは、心が健康であるということです。そしてまた、それは、幸福である、という意味でもあります。人間の生きる最大の目的が幸福であるならば、それは、「機嫌よく生きる」という一語に集約されるのではないでしょうか?

◆斉藤一人さんは、機嫌についてこう語っている。

「身体の具合の悪い人、人生うまくいかない人。もしかしたら、人の機嫌をとっていませんか?相手は相手の都合で機嫌が悪かったりするの。今は、やれ不況だとか、何だとか。それでも、自分の機嫌をとるの。自分がいつもニコニコ明るくしてるの。で、そういう人が人を救うの。悪い方に私を合わせちゃいけないんです」

「幸福とは、機嫌よく生きること」人のせいにせず、毎日をニコニコと機嫌よく生きたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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