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茶は三煎して味わう
本日のおすすめの一冊は、安岡正篤氏の『人生の五計』(PHP文庫)です。ブログも同名の「人生の五計」として書きました。
伊藤肇氏の『帝王学ノート』( PHP文庫)の中にこんな文章があった。
『安岡先生から「茶は三煎して味わう」と教えられた。 浄境に栽培された芽茶(めちゃ)に 最初はややぬるめの湯をかけて、 芽茶のもつ甘さを味わう。 この甘いという味は、味の初歩的なもので、 幼児にも未開人にもよくわかる。 だから、人間も未熟なうちは 「あいつはまだ甘い」ということになる。
次の第二煎は、 少し熱くした湯でタンニンのもつ渋さを味わう。 この渋いという味は甘さよりは一歩進んでおり、 人間も中年近くなってやっと、「渋い魅力がでてきた」といわれるようになる。
第三煎は熱湯を注いで、 カフェインのもつほろ苦さを味わう。 この苦いという味は、人生も五十をすぎないと、 ちょっとわかってこない。 蕗(ふき)のトウで酒を楽しむ年代である。
ところが、この茶の心得のない人間は、せっかくの芽茶にいきなり熱湯をかけるから、 甘さも、渋さも苦さもごちゃごちゃに出てしまって、 風味もあらばこそ、 単にニガニガしい味になってしまう。 すなわち、メチャクチャ(芽茶苦茶)の語源である。
青年とは、ある意味において、「甘さ」の段階しかわからない連中のことだ。 当然、「甘さ」を基盤にして勝手なことをいうが、 これを「渋さ」も「苦さ」も十分しっている 大人が叱ろうとしない。
変にものわかりのいいオジさんになっているところに 現代社会の大きな欠陥がある。 青年とおとなとは厳しさを通じて 結びつかなければならない。 青年を甘やかすようなおとながいたら、 青年は警戒すべきである。
甘やかされて育った子どもはたいてい、「わがままになる」「他人のせいする」「打たれ弱い」「辛いことや嫌なことから逃げる」「まわりへの気配りや気遣いができない」「自分の要求が通らないとすねたり、すぐ泣いたり、怒ったりする」等々の特徴がある。
いい年をしたオジサン、オバサンにもそういう人は少なからずいる。つまり、自分本位の身勝手な人間だ。 昨今の、すぐキレる老人も同じ。 酸いも甘いも噛み分ける人、人情の機微(きび)に通じている人。「苦み」や「渋み」のわかる大人でありたい。
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