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姿勢の乱れは心の乱れ

今日のおすすめの一冊は、田中恆清(つねきよ)氏の『神様が教えてくれた幸運の習慣』(幻冬舎)です。その中から『「中今」の精神』という題でブログを書きました。

本書の中に「姿勢の乱れは心の乱れ」という心に響く文章がありました。

神道は、特定の教典や特別の教義がないかわりに、祭祀(さいし)を執り行うことで、神々を敬ってきました。お祀りのとき、神前で失礼があってはなりません。常に神様に見られているという緊張感を持って身を律し、美しく気品ある態度でご奉仕しなければなりません。

ですから、毎日のお供えのお祀り手順から年に一度のお祭りまで、神職や神社に勤める者には、それぞれの儀式ごとに事細かに取り決められた立ち居振る舞いの作法があります。 

例えば、正座のときは足をどうするのか、立つときはどちらの足からなのか、歩きながら方向を変えるときは足をどう運ぶのか、物はどのように持つのかなど、すべてをきちんと覚えるのに何年もかかるほどです。 

伝統的に受け継がれてきた形には、道理があるものです。力学的に無駄のない動きというのは美しい。中には不合理なこともありますが、そんな場合は必ずといっていいほど、その所作に至っただけの理由があります。なにより洗練された作法を身につけると、自然と心も整うから不思議です。 

もっとも、私も若い頃は、第五十六代石清水八幡宮宮司だった父から厳しく指導され、一時間も正座をさせられたこともありました。そんな厳しい親が側にいたからこそ、今の自分があると思っています。 

皆さんも一日のうちのほんのひとときでもかまいませんから、姿勢を意識してみてください。「姿勢の乱れは心の乱れ」というように、まず形を整えることで、 生き方まで美しくなることを実感するはずです。

◆斎藤一人さんは「礼儀正しく」についてこう語る。(絶対、よくなる!/PHP)

「形だけじゃないか」って?カタチをバカにしちゃいけませんよ。「形から入る」と言うじゃないですか。外から見て、幸せそうに見える、あの演技が大切なんです。本当ではなくて、ただのフリじゃないか、と言うけれど、人というのはね、自分の心に忠実だとおかしくなっちゃう。ほとんど、そうなんです。

なぜなら、心に忠実ということは、思ったことを言うということなんです。心に思ったことを言っていて、ウソはついていないからいいじゃないか、と言うけれど、本当のことでも言っちゃいけないことって、山ほどあるんですよ。

たとえば、誰かと話しているときに、相手のことを「この人はいちいちうるさいなあ」と思ったとして、心に思った通りに「うるさいよ」って言ってたらエライことになるじゃない?自分の心が思った通りに「この人、ブサイクだな」と言ったら、言われたほうは傷つくんです。

◆そのために必要なのが「礼儀作法」であり「立ち居振る舞いの作法」。礼儀正しい人には様々な作法や徳目が身についている。それはたとえば、「笑顔」、「感謝」、「挨拶」、「素直」、「律儀」、「ゆずりあう」、「お礼をいう」、「礼」、「返事」、「丁寧な言葉」、「愛語」・・・。

神道には教義がないからこそ、祭祀(さいし)を執り行うことで、神々を敬ってきた…。
「姿勢の乱れは心の乱れ」という言葉を胸に刻みたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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