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勇気の大切さ


今日のおすすめの一冊は、平光雄氏の『子どもたちが身を乗り出して聞く 道徳の話』(致知出版社)です。その中から「忍耐力を育む」という題でブログを書きました。

本書の中に「勇気の大切さ」という心に響く文章がありました。

ある作家が、現代で子どもたちに最も教えなくなったのが「勇気の大切さ」だと述べていた。 戦争中の「蛮勇」への批判や反省の拡大解釈から、「勇気」を教える大人が激減した。そして、その結果、「最も大切な『自分の命』」さえ守れば、どんな卑怯も腰抜けも許されるという風潮が生まれた、という。
確かに、学校でも「勇気」の大切さを教えることは重視されていない。しかし、言うまでもなく、どんな善行も勇気がなくては成就しない。いじめや嫌がらせ、あるいは万引きなども、単独で行うことは稀で、多くの場合複数によるものである。その該当児童たちを呼んで指導をすると、つられてやってしまった子たちはほぼすべて「悪いとわかっていたけど、やめる勇気や止める勇気がなかった」という。
そこに最も欠けているのは「勇気」だ。 いじめや万引きのグループから抜ければ、それなりの「制裁」は受けるだろう。 無難にはいかないかもしれない。 しかし、自分が選んでやった「間違った行為」でもあるのだ。少々の傷は当然、 でも意に反したことをこれ以上続けてはいけない、だからやめる、という意志を貫くことが重要なはずだ。
しかし、そうはせずに目先にある仲間たちからの「咎め」を避けるためにそのままの関係、そのままの行為を続けてしまう。こうした例は数多ある。 決定的に不足しているのは「勇気」だ。 子どもたちに勇気の大切さを教えないことが、目先の保身を選ばせる(もちろん、それは本当の意味での保身にはなっていないが)。
また、進んで集団の代表になり、進んで大きな責任を負おうという気持ちを持った子が減ってきたのも現代の特徴である。 「学級委員」の選挙でも、立候補者ゼロ、あるいは一、二人というクラスもよく見られる。進んで大きな責任を負うことが成長には必須であるのに、立候補して落選する恥ずかしさが先に立ってしまう子や、仮に当選しても責任者として叱 られることが嫌だという理由で立候補しないのだ。 リスクを取る勇気がないのだ。
中には内心「やってみようかな」という気持ち があるのに、保身の方を選び、自分の心の火を消してしまうのだ。 迷ったときには、「勇気」が何よりも必要なんだという価値観が内面化していないのである。

行徳哲男師は「勇気」についてこう語っています。(感奮語録)より

福沢諭吉は言った。「盲目社会に対するは獣勇なかるべからず」と。一寸先が真っ暗闇の時代を生き残るには獣の勇気を持つことである、と彼は言うのである。盲目社会、現代がそれにあたる。獣の勇気とは何か。獣は考えない。ゆえに、迷わず、こだわらず、とらわれない。
金や財産、名誉や地位を失っても、ほんの一部を失ったにすぎない。しかし、勇気を失ったらすべてを失う。勇気は頭からは生まれない。勇気を生むのはただ行動のみ。行動が勇気を起爆させるのである。

現代は、勇気が軽視される時代です。しかし、どんな小さな行動を起こすにしても、そこには勇気が必要です。ほんの小さな勇気がないばかりに、行動を起こせない、つまり自己変革ができないということです。 

「勇気は機関車、自信は客車。勇気は自信に先行する」、という田中真澄氏の言葉にもあるように、勇気がすべてを引っ張っていく機関車です。今一度、勇気の大切さを胸に刻みたいと思います。

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